2012年 09月 14日 ( 1 )

広田不孤斎の眼と言葉 (『新茶道』小林一三より)

 
 
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…芸術的な美が希薄だとか、この品には詩がない、夢がない、形にボリュームが足りない、線に動きが欲しい、静けさや侘び寂びに乏しい、これは還元焔だ酸化炎だとかいうようになって参りました。
品物を見るのに、幾分知識や理論で見るようになってきました。
若い愛好家や店員も、それに幾分共鳴するようにもなり、引きずられもしました。
私も今から思えばまだ若かったので、そういう見方なり観賞があるものかと、懐疑にとらわれて、真剣に考えるようになりました。

…文学にも、科学にも、何らの教養を持たない私には、永い年月の間に数々取り扱った実地の経験のみが唯一の頼りです。
理窟は如何でも、物を見てそれが自分の心に美しく感ずる物であればよいと思いますが、
このグル―プの方々には、そんなことは月並みの説明としか思って頂けません。
世間は一般に、愛好家でも、業者でも、物の真偽の結論を出し、美の有無の理論を付ける方を、目利きであり、審美眼のある偉い人だと思う嫌いがありますが、
私は仲々そう簡単に結論の出るものではないと思います。
 
学問や科学の力も偉大なものです。われわれも大いに教えられ参考になります。
それによって真偽を鑑別し美を見ることは、大切なことだと思います。
しかしそれだけから結論を出されると、文献のみによって、それを芸術価値と混同して偽物を買ったり、作家の場合には、技術の面だけから見て、審議を謬まったりする場合がないとはいえず、
また往々間違いもあるように思います。
そういう方々の買われたものにも、そんな業者の納めた物にも、偽物がある例をしばしば見て居ります。

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若い頃からこれと同じように、近年まで自分の専門の陶磁器を見れば、わかった積りで平素の慣れから判断を即決したものです。
とかく若い時代には結論を急いで付けたがるものです。

研究を積めば積むほど、真偽の判断に苦しむ物が多くあることを知りました。
国籍(日本・中国・朝鮮・諸外国)に至ってはなおさらのこと、何と判別してよいか得体のわからぬ物が数あるには驚きます。
古い物だとはわかるが、何処の国の物かもわからず、年とともに自分の鑑識に自身が持てなくなってくるような気がして、
要するにわかったと思ったことが間違いでわかって居らぬ物が多いのだとわかったのです。

先輩の目利きにこの話ををしましたら、自分もその通りだよ、世の中には目利きなどは居らないものだよ、といわれましたが、なるほどと今になって思い当たります。

自己の鑑識に酔う過大評価で冷水三斗の目に幾度も遭って、以後は自分で判別できぬ品と、国籍のはっきりせぬ自信の持てぬ品は、なるべく避けて買わぬことにして居ります。

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僕は、知識や理論で、自分の目玉を曇らせてはいないだろうか?
また、経験が、初な感度を鈍らせてはいないだろうか?

心を空しくして、眼を澄ませて、ただ、モノと向き合おう。
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by so-kuu | 2012-09-14 20:03 | 茶人 | Comments(0)