“クリスマスの茶” におもう (季節ということ、趣向ということ)

クリスマス・ケーキが安売りになっていた
廃棄されるものも相当になるんだろう
日本のクリスマスって何なんだろう?


さて


“クリスマスの茶” 


というものに
僕は
どうも
馴染めない


茶の湯にクリスマスを持ち込む、って面白いんだろうか?

それとも
クリスマス・パーティーをする、というのが先にあって、それを茶の湯でしよう、っていう順なのかな

あるいは、
12月に茶会をするんだけど、季節・趣向は、何がいいかな?この時期ならやっぱりクリスマス?、といったことなのか


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茶席の和菓子で
クリスマスツリーを象りました(実際やけに写実的だったり)、とか
緑に赤に(プラス金銀まぶしたり)、とか
銘は「聖夜」でございます、とか

京都・聚洸さんの和菓子とは対極にあるような和菓子たちだ)


僕にはよくわからない





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世間では盛行のようなので
きっと僕の方が少数派で
僕の方がかわった感覚の持ち主なのかもしれないけれど


茶の湯、という以前に
クリスマスというものを、ステキなイヴェント、と思っていない僕には
そもそもクリスマス自体が遠くの騒ぎなのかもしれないな

また
クリスマスを歳時記のひとつ、と思っていない
クリスマスより「冬至」の方が僕にはずっと嬉しいことだ





考えてみれば


茶の湯において、
とかく、季節、季節というのも
とかく、趣向、趣向、というのも
自縄自縛になっている、と感じる時がある


お茶には季節感を盛り込まなければいけない、と思い込んでいたりする
お茶では季節を趣向として表現しないといけない、と思い込んだりする

季節、季節、趣向、趣向、と言って、
要らぬことをわざわざ持ってきて、取って付けたりする

そもそも、そんな縄はないのに

また
季節を盛り込めばそれでOK
趣向を盛り込めばそれでOK
という節もないではないような気がする


「季節ですねー」

「... so what?」



どの今も、季節の中の、今、なのであって

それを表現するのは、当たり前と言えば当たり前
(表現せずともあらわれているとも言える)


肝心なのは、で、何なのか、だ


ここで
茶の湯創成期のオリジナル数寄者たちのやった茶の湯をひもといてたずねてみると
現代に言うほど、季節だとか趣向だとか言っていない
(というか安っぽい趣向に走っていない)

季節は暮らしの中で十分に感じられていたから、わざわざ茶室に持ち込む必要もさほどなかっただろうし
(このことは堀内宗心宗匠も言っておられる)
趣向を大上段に構えることもなく、すらりとお茶をしていたように感じられる

作分・作意、ということは大いに重んじられたけれど、
それは、現代のいわゆる茶道ような形に嵌ったもの、陳腐化したものではなく、
茶人それぞれの独自の創意工夫が十分に表れたものを、
数寄出来たり!と褒め讃えたものだ
自分ならではの茶の湯を成し得た人が茶人としての名を取った

野暮ぼったい季節感の演出や、趣向くさい趣向は、ぬるい茶とされ、相手にされず、記録に残ることもなかったんだろう


季節ということ、趣向ということには、気をつけたいものだ


僕は

まず

なんでもない茶の湯をしよう


茶事により趣向を凝らすなら凝らすで

根本のところを忘れないようにしよう



地に足をつけて

空をみあげよう


冬至を過ぎて

空は澄み

月は冴え渡っている

太陽はまた高く昇りはじめている


この季節

クリスマスより

僕は自然そのものをたしかに見つめていたい



(メモ)




他所さんがどんな茶の湯をしようと、それはそれで結構なことだ
*それぞれが好きな茶の湯をして楽しめばよいのだから
趣味の通うもの同志呼んだり呼ばれたりして共に楽しめばよいのだから

*ではなぜこんなことをメモるのか?と言えば
「直心」ということとも通じるかもしれない
一会において主客が互いの心を伝えあい、汲み取り合い、分かち合う
*その前提として、それぞれの茶人が自分の足で立っていないと、と感じる
*一会においては、主客共に、心に嘘がない、偽りを語らない、ということも大切だろう、と感じる
*私はこう思う、ということがなくては、茶の湯は成らないだろう、と感じる
主客が一致する場合もあって、しない場合も多々あって、その上で和していくことが大事だと考える
*「かまんかしやうかわるき事にて候、又ハ、かまんなくてもならぬ道也」
*さて如何せん?
*リアルに歩んでいこう
「直心是道場」なり
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by so-kuu | 2013-12-26 22:29 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)
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