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北村謹次郎邸「四君子苑」の謎をとく その1 数寄屋・茶室棟編

北村美術館、そして、北村謹次郎邸「四君子苑」を訪ねた

そもそも、今回の大阪京都(+名古屋)の旅は、
「四君子苑・秋の特別公開」にスケジュールを合わせてプランした

なので、今回の旅のメイン・イヴェントのひとつ

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2回目の拝見

実は、前回、初めての拝観の感激が冷めてきた頃、
いくつか、気になるところ、疑問などが沸いてきた

今回は、
そういうところを、よくみてみよう、と思っていたのだ

で、
結論から言うと、
いくつかの謎が解けた
嬉しい発見もあった

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まず、

■門

を入る
門には、茶会用の荷物預かりも備えている

右手に進んで小さな門をくぐれば露地へ
真ん中を進むと、メインの玄関
そのまた左手奥へ回り込むと内玄関(これも大きいんだけれど)

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■玄関


Q:真ん中と左、どちらが客用の玄関?

A:真ん中(の小さい方)が客用のメイン玄関

理由①:玄関外には駕籠石あり
理由②:玄関内に蹲あり、灯籠あり、非常に趣あり
理由③:真ん中の玄関から左手の玄関に抜けるための戸があるが、背が低い(あくまで通用口という心持)

左手玄関は、すごく大きいけど、あくまで基本は家族用、
または多人数の来客用か(大きな下足棚・クロークなど備える)

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■寄付は…

2畳+板畳に丸炉
板畳の側に大きなにじり口のような板戸2枚

ここは茶事の寄付として使用

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その奥の廊下から、
左手玄関ホールにも出られる
右手に進むと、

■洋間

に出る

和洋折衷な部屋だ

板張り
床の間は和風だが、棚が高くしつらえてある
テーブルと椅子が据えてある

和洋をうまくまとめてある、と好印象

ここを寄付に使うことも可

掃き出しの窓から露地の緑、大きな石灯籠を眺めることが出来る

*この六角形石灯籠
嘉禎三年(1237年)銘あり
作成年代の記されたもののうち最古、とか
鴻池家伝来
重文

また廊下から中庭の方に出ていくことも可

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■露地

細い通り土間を進む
屋根付、細めの丸太が瀟洒

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屋根付通り土間の途中に

■腰掛

がある

主に、中庭の木々と池とが眺められるもの

なのだが、

もう少し進むと、
別にちゃんとした腰掛待合もある

Q:通り土間途中の腰掛って、何のため?

A①:庭を眺めるため
A②:住宅棟の和室で茶の湯をするときの待合としても使える


なるほど!
見れば、この腰掛けのすぐ脇に、中庭へと抜ける引戸がある
飛石をたどってみると、蹲もあり、住宅棟和室の縁側へと繋がっている

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さて、通り土間をさらに進むと、

■本格的な腰掛待合

雪隠も隣接
腰掛は貴人と相伴とで分かれて座れる形式

また待合脇の露地に、

*切株形の化石

を2つ据えてあって、
客の人数が多い時には、この切り株に円座を置いて使うのだとか
アイディアだな
また、切株の化石、、ってのが山林王のお家らしい

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腰掛から飛び石伝いに

■中門

を抜けると内露地

■蹲(本席用)

は、平たい大きな自然石に穴が穿ってあるもの

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そしていよいよ、本席の小間

■茶室「珍散蓮」

本勝手
下座床
二畳台目中板入、+一畳相伴席(拡張・開閉可能)

2度目だけれど、
いい茶室だな

今回は、時間をたっぷりとって、
細部をスケッチしてみた

間取り平面
床・床柱・框
点前座
壁面
など

Q:点前座の洞庫脇にあるスリット状のもの、あれは何?

空調か換気、辺りかと推測していたが

A:水屋から席中を覗く装置

だそうだ
謹次郎氏晩年のアイディアだとか

洞庫・水屋側を暗くしておけば、席中の客からは見られず、
席中の様子、茶事の進行などが伺えるんだそうだ
(水屋をそんなに暗くできるのかな?実際の茶事の最中に)

点前座まわりでは、

■相伴席

もユニーク
通常二畳台目(中板入)だが、
茶道口と給仕口の襖を外すと、
その外に一畳の相伴席があり、
3畳台目(中板入)としても使える

拡張式の茶室なのだ
これは古田織部の「燕庵」と同じ

ここで、
特に面白いのは

■敷居

の扱いだ

前に書いたページの画像見て頂ければおわかりかと思うけれど、

拡張して相伴席を設けた際に、敷居がない
これは分る
着脱式なのだから

けれど

Q:相伴席をつくるために取り去った敷居はどうするのか?

(僕は、単に取り外して水屋か納戸にでもしまっておくものとばかり考えていた)

A:敷居を取り去った分、畳を点前座に寄せて詰め、壁際の空いたスペースに敷居をはめ込むんです

!?!?!?

北村謹次郎邸「四君子苑」の謎をとく その1 数寄屋・茶室棟編_b0044754_20211895.jpg


なるほど!!!

それは思い付かなかった!
なんと始末のいいこと!!

ははあ、そうか、相伴席の奥の壁際に敷居が嵌っていても、客の方から見て、何の違和感もないだろうな。

上手い!!!

マイ茶室プランにも是非とも取り入れたい

(今回、もっとも参考になった、目から鱗の、謎解きだった!)

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さて、
相伴席の脇には、

■床

床に向かって右手の低い位置に墨蹟窓あり。
左側にも、窓を切っていた形跡(下地塗を壁土で塗って埋めた跡)あり。

Q:左側に窓があったの?なぜ埋めたの?

A:確かに、最初は、左手の墨蹟窓一つでした。埋めた理由は、茶事の都合、特に懐石相伴の都合です


親切でスマートな係の女性のご説明によると…

「まず、
はじめは左手に墨蹟窓があった
縁側・中庭側から採光する設計
右手の低い窓はなかった

しかし、
実際に茶事をしている時、問題に気付いた
「珍散蓮」には相伴席があって、主に亭主が懐石を相伴するために使っているのだが
床前の正客と、相伴席に座る亭主とが、床柱と壁が邪魔になって、互いの顔が見えない
亭主は、給仕口から首を突き出さなければ、正客と顔を見て話が出来ない
主客が顔を合わせられないのでは、茶事にならない

北村謹次郎邸「四君子苑」の謎をとく その1 数寄屋・茶室棟編_b0044754_185313.jpg


そこで、
この問題を解消するために、止むを得ず、
床に向かって右手の低い位置に窓を開けた
こうすることで、窓越しだが、正客と亭主とが顔を合わせることが出来るようになった
話も弾むようになり、茶事がしやすくなった

さて、
床脇の壁、両側に窓を切るのは、数寄屋建築の約束に反する、というので、
仕方なく、当初からあった左手の墨蹟窓は塗りつぶした

そうして現在に至る、と云う訳

…なるほど!

謎が解けた
そして何より、その茶事の懐石の都合で茶室の仕様を改めた、という話がいいじゃないか!
全ては茶の湯(茶事)のためにあるんだな
そして、主客の交わりあっての茶の湯だな

数寄出で来たり!

親切心と心意気
茶事を最大限楽しもう、という気持ち

北村謹次郎さん
素敵なお茶人さんだな

感服

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■床

と言えば、
床柱も床框も、杉丸太で、節が多いものを選んでいる

因みに、

■中柱(台目柱)

は、櫟(一位、いちい)の木

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■にじりと窓、壁面のデザイン

も茶室ごとにいろいろあるけれど
ここのこの壁面、スッキリと整って、いいな
(画像左手袖壁部分は90°展開)

北村謹次郎邸「四君子苑」の謎をとく その1 数寄屋・茶室棟編_b0044754_18543917.jpg


北村謹次郎邸「四君子苑」の謎をとく その1 数寄屋・茶室棟編_b0044754_1956191.jpg


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小間茶室から二枚障子の貴人口を出ると、

■広縁

ここは、この「四君子苑」でも最も有名な場所かもしれない

杉根杢の格子貼、
低く軽快な手摺、
下部を吹き放した障子は大徳寺孤篷庵の茶室「忘筌」から意を得たものか
袈裟形の手水鉢に筧の水、
池が庭の緑を映している

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広縁の向うに

■茶室棟の玄関

がしつらえてあり、
住宅棟側からの入口となっている

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奥へ進み、階段(脇は勝手になっている)を何段か上がると、

■縁側

・石灯籠
・鶴の塔
・淀君遺愛の鍍金釣灯籠
などを眺めつつ、

■広間「看大」

に席入する

八畳
上座床(向かって右手に一間床、左手に棚)
本勝手の炉は、変則的に半畳下げた位置に切っている

Q:炉の位置を半畳下げて切っているのはなぜ?

A:御正客に「大文字」を観てもらうための工夫です。

へえ!?

すると、

Q:この広間では、正客はどこに座ってもらおうと想定しているの?

A:それが、ここなんです。実際に座ってみてください。(図示の★のところ)

北村謹次郎邸「四君子苑」の謎をとく その1 数寄屋・茶室棟編_b0044754_2304215.jpg


なるほど!

ここなら、

ちょうど植込みを低く刈り込んだところから

大文字がよく見える!

北村謹次郎邸「四君子苑」の謎をとく その1 数寄屋・茶室棟編_b0044754_233757.jpg


そして、よくよく見てみれば、

左手には、
広縁からの入り口から
淀君遺愛の釣燈籠も、
鶴の塔の方も見通せ、
右手には、
次の間越しに、
大きな石燈籠も、
見える

気付いてみれば、
正客の座る位置は、ここしかない

というよりも、まず正客をここに座らせるものとして、
この広間のあるエリアの建物全体を普請し、
窓の位置を決め、炉を切り、
庭の美術品の位置を決め、植木を刈り込んだ、
という訳だ

そうか、
そういうものなんだな

けれども、

正直、僕は、ここに正客、と発想できなかった

実は、
僕は、すっかり、正客は、床前の貴人畳か、その前の客畳、とばかり考えていた
それでは、大文字が全然見えないじゃん!?と思っていた

いわゆる「床つき正客」という概念に縛られていたなあ

また、特に、床と棚が並ぶ広間の場合、
床前が上座で、棚前の畳みってなんかデッドスペースなような気がしていた

ずいぶん頭が固かったな

「釜つき正客」という考え方もあるわけだし
そうか、棚前畳みに正客が座ってもいいんだよな

そして、その棚前畳に正客を座らせよう、と考えれば、
自ずと、炉は半畳下げて切ることになる

この配置の場合、
亭主(点前するひと)と正客が、わりに近いし、正面に近い形で向き合える
というメリットも生まれる

ただ、
一つ気になるのは、
正客がここに座ると、
客人数が少ない時、
例えば、3人とか、そういう場合、
次客以降は、どこに座るんだろうか?
広い部屋にこんなところから座り始めると、
ポツン、ポツン、となって、少し淋しくないかな?

で、訊いてみた

Q:「看大」は大文字の夜の茶会でしょうから、やはり客人数の多い茶会ということなんでしょうか?

A:いいえ、そうでもないんです。北村は、3人とか4人とか、そういう感じでしていたようです

へえ
贅沢だな

でも、考えてみれば
客の皆が東山の大文字の方を向くように座ってもらうのがその茶会の何よりの御馳走なんだから、
だとすれば、そんなに大人数入らないもんな
納得

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以上、

「四君子苑の謎をとく」 その1 数寄屋・茶室棟編 でした

色々伺えて、しばらくのモヤモヤがとけた、スッキリしたー

係員さんにしっかりお礼を申し上げて、
帰る前に、もう一度、名残を惜しんで…

と、また、不思議なものを発見

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看大の隣の次の間(書院)から板張り廊下に出たところ、
広間の床の裏辺りに、小さな襖というか引戸というか、そんなものを見つけた
床面から、30センチ四方くらいの小さな戸

Q:この小さな引戸、何ですか?

先程の方に訊いても分からず
ご年配の男性スタッフさんに訊いてくれた

A:ああ、あれ、昔、電話入れとったんですわー



へえ。
そうか、そうか。
かつて、家には“電話置き場”が必要だったよな

その場所は、広間の床脇の棚と通じている
普段は使わないこの棚の中のスペースを、裏側から拝借した、という訳だ

まあ、
電話を廊下にむき出しで置いておくより、隠した方がキレイだもんな
また、
ここは、母屋からも遠くて、電話を引いておきたかったんだろう

ケータイ前史の1ページだな

---

以上、
今度は本当に、おしまい

茶室に多くの謎がある、

ってこと自体、すでに面白いんだけど、
その謎には、四君子苑の茶室には、
実際的なアイディアに溢れていて、
とても楽しい

で、
すごいのは、
それを、目立たないように、サラリをやってのけている点だ

カッコよすぎ!


そして、そんな素敵なお宅と茶室を、一般公開して下さって、
僕なんかにも、
見せて下さって、
解説して下さって、
勉強させて下さって、
沢山の気付きや、
大きな感銘、
インスピレーションを与えて下さることに、
感謝。



(その2 住宅棟 につづく ・・・ 吉田五十八のセンスと技術に迫る予定です)
by so-kuu | 2012-11-14 20:04 | 茶室
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