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林屋晴三さんの言葉 「茶の湯の現代」展にて 

 

茶の湯稽古の先輩にお声掛け頂き、
「茶の湯の現代―用と形―展」を観に行った。

菊池寛実記念智美術館にて、
その日は、
館長の林屋晴三さんと、武者小路千家の千宗屋さんとの対談があったのだ。

その中で、印象に残ったことがいくつかあった。




林屋さんは、手術の3週間後で、この日のために退院してきたのだという。
一見お元気そうだったが、途中20分程退席したりもした。
それだけに、どうしても言いたいことがあるんだ、という静かな気魄というようなものを感じさせられた。



林屋さんの退席中、
千宗屋さんは言っていた。

「正直、茶の湯の現代、ときいても、いまいちピンとこないんです。」

「大賞の木地水指にしても、消極的なチョイス、というような気もします。」

神代杉挽曲造木象嵌水指 灰外達夫作
http://www.musee-tomo.or.jp/file/results%20of_teautensils_2012.pdf


林屋さんが戻ると、その水指の話題になり、

林屋さん曰く、

「茶の湯の伝統を踏まえながら、自ずと今が表れている。
審査員も自然にすっと一致して、この水指を大賞に選んだね。」


(真逆の見方ともいえるけれど)千さんは頷いて聞いていた。

見方・考え方はいろいろだな。



その林屋さんと千さん。

共に認める、年齢差を超えた茶友だそうだ。

そういう茶友を持てる、ということは幸せだな。

それぞれの茶の湯観や美意識が違うのは、問題ではない。



お話をきいていると。

林屋さんは、生涯をかけて、出会い、見つめ、研究してきた、

茶の湯の歴史の中の道具たち、その美を信じているんだな。

例えば、利休好みの長次郎赤楽茶碗「無一物」など。

そんな彼は、戦後の茶道文化の中での茶の湯観・茶道具の観方の主流を造ってきた中心人物のひとりでもあるだろう。

その上で、今のこのご時世に、「茶の湯の現代」を求めている。



それは、なにも、「現代」とか「今」とか「前衛的精神」とか何とか、そんなことを頭でっかちに言っている訳ではないらしい。

「僕が、今を生きていれば、自ずと今が表れるでしょう。」

「自ずとモノが語ります。」

とも言っている。



それは、具体的には…

ぼくがみるところでは、

やはり、桃山の茶の湯の美意識を踏まえ、茶の湯文化の伝統の流れにあるもの、をよしとしているように感じた。



また、非常に打たれたのは、

「茶の湯の、茶碗をつくるなら、客に一服の茶を差し上げる、という心がこもったものでなくてはいけないんですよね。」

ということ。

その点では、

「最近、楽さんや、鈴木蔵さんでも、どうかな?と思うことがあるんです」

と率直に仰っていた。

「肌がザラザラ過ぎて茶巾も回らないのはどうか?」

とも。




「ですから、今、僕自身で茶碗を造ってみようと思ってるんです。」

「どんなものが出来るかわからない。けど、やりますよ。」

「みなさん笑うけど、僕、本気なんですよ(笑)。」


僕は楽しみにしたい。


by so-kuu | 2012-08-29 11:13 | 茶人 | Comments(0)
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