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水無月 旧暦2014

今日から6月

旧暦ではね


気に入りのお店の和菓子

水無月が

肝心の旧暦水無月には店頭にない

というのが残念


さて

その水無月


実は、水のない月、ではない

元は、水の月、とか


そう

水の月を

いこう









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by so-kuu | 2014-06-27 22:09 | 自然ということ | Comments(0)

夏至に

フィンランドの

小さな湖のほとりでは

家族や

友人たち

恋人たちが

kokkoの火を灯し

空をみつめているだろうか


僕にとっても

1年のうちでも

二十四節気のうちでも

最も大切な区切りのひとつと感じている


夏至


我が家でも

小さな火祭りをして

風炉で湯を沸かし

一服頂きながら


天体の

運行の

そのひとときを過ごす



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by so-kuu | 2014-06-22 22:25 | 自然ということ | Comments(0)

むくげ咲く 芒種2014

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いつもの道の

槿が

咲いた


真っ白の花が

瑞々しく

清々しい


僕も

いよいよ

夏本番へ





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by so-kuu | 2014-06-19 07:36 | 自然ということ | Comments(2)

「五月晴れ」 (旧暦皐月 芒種 2014)

朝起きて

よし!

ベッドから跳ね出て

洗濯機を2回まわす

衣類も

シーツも

全部洗って

寝具もみんな陽に干す


部屋の窓を全て明け放って


作務をはじめよう




「五月晴れ」

とは

旧暦皐月のことであって

“梅雨の晴れ間”が本来の語意


“新暦5月のスカッとした晴れ”を指して言うのは本来誤用
(但し、そうした誤用があんまり多いものだから、世間に通用してしまって、最近では辞書にもそちらの意味も載るようになってきた)


雨続きの時季の貴重な晴れ間だから、実感として、本当に有難いものだ

カラッカラのシーツに寝そべると、そんなことを考える


そして

この晴れ間が永くは続かないことを知っているからこその

太陽の輝きをしみじみ感じる

そんな日


これから再びの長雨を経て

ジリジリとした夏本番へ


心を洗って

日日を励もう


時々勤払拭






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by so-kuu | 2014-06-14 22:41 | 自然ということ | Comments(0)

古田織部四百年遠忌追善茶会 at 大徳寺

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***

 「へうげもの」織部しのぶ 京都・大徳寺で四百年遠忌茶会
 「天下一」とも言われた大名茶人古田織部の四百年遠忌追善茶会(同茶会実行委員会主催)が
 命日の11日、京都市北区の大徳寺で催された。
 茶道研究者や数寄者らが趣向を凝らした席に約千人が訪れ、ゆかりの茶道具などで先人をしのんだ。
 古田織部(1543~1615年)は千利休の高弟の1人で、利休没後、「へうげもの」と称される大きくひずんだ
 茶碗を用いるなど大胆で自由な茶風を示し、茶器制作にも「織部好み」の影響を残した。
 この日は、筒井紘一・今日庵文庫長や木下收・北村美術館長ら6人が、黄梅院と芳春院、総見院の
 3塔頭に、それぞれ濃茶席と薄茶席をしつらえた。
 織部筆の消息を床にかけたり織部が所持したと伝わる黒茶碗や茶入、水指、好みの道具を用いたりして
 往時の茶会をたどった。
 同実行委員会の宮下玄覇・古田織部美術館長は「織部の茶は、道具の一つ一つをみても人を
 楽しませた。
 節目を機に、さらに親しんでもらいたい」と語った。」
 (京都新聞掲載)

***



今年来年は400年の節目か

こんな茶会やってたんだった






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by so-kuu | 2014-06-12 22:54 | 茶人 | Comments(0)

半化粧の頃 芒種2014

 
半化粧が咲いていた

もうそんな頃か、と思う、今年



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by so-kuu | 2014-06-12 22:05 | 自然ということ | Comments(0)

織部忌に

6月11日は

古田織部の命日だそうだ


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菩提所である京都・興聖寺では、「織部忌」と称して薮内流の家元による供茶式をするとか
藪内剣仲が織部の妹を娶ったとかで、また織部の茶室「燕庵」も剣仲に贈られたんだとか


古田織部がまた人気のよう

漫画『へうげもの』のヒットもあってか
「へうげもの」作者のひとつの解釈(あるいは推察あるいは創作)を史実として見るひともあるよう

いわゆる「利休神話」に続いて
新たな「織部神話」も生まれそうな感じ


また
本阿弥光悦が近代以降に特に人気を得たのと似た感じで
古田織部は現代において受けやすいのかもしれないな


僕は
いわゆる美濃織部系統の茶陶があまり得意ではない
織部のやった茶の湯というのも大好きというのでもない

けれど
面白い人だったんだろうな
そう思う

これは
織部に限らず
大名茶人に限らず
茶の湯創成期から桃山時代・江戸初期にかけて
創意なくして名を取った茶人はいなかったろう

その人の茶の湯が面白かったから、茶人として名を取ったのだろうし

だから
古田織部に茶の湯に招かれることがあれば
是非とも参上したいと思う

そして
自分の五感で
古田織部の茶の湯と出会いたいと思う

それは不可能だというのであれば
せめて
現代の目でみるのでなく
後付け神話を鵜呑みにするのでなく
なるべく一次資料に近いものに当たって
信憑性の高い織部の遺物に当たって

自分の眼で観て
自分のカラダで古田織部に会ってみたい
そう感じる





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by so-kuu | 2014-06-11 22:12 | 茶人 | Comments(0)

夏椿咲く (芒種2014)

夏椿が咲いている


冬の椿とはまた趣がちがって


露を受けた花びらの白が涼しげ


幹が雨に濡れてもまたキレイだ






*沙羅とも言われるけれど、いわゆるインドの沙羅双樹とは別モノなんだって







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by so-kuu | 2014-06-11 07:23 | 自然ということ | Comments(0)

梅の実がふくらんできた (マイ歳時記 芒種2014)

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梅の実が膨らんできた


青梅ならばそろそろ

黄色く完熟したら梅干し用に

少し分けてもらおうか





(そしたらマイ懐石には自家製梅干がつくかもしれません)














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by so-kuu | 2014-06-07 23:13 | 自然ということ | Comments(0)

端午の節句 (新暦・旧暦と日本の歳時記)

今日はいわゆる「旧端午」。


やっぱり

五月五日の端午の節句は、旧暦でやったほうが、しっくりくる。


と思う。


---

三月三日の(上巳)のお節句もしかり。
新暦の3月3には桃の花なんか咲かないことを思えば、当然。


五月五日についても。
旧暦だからこそ、と感じる。

旧暦の5月は梅雨時に当たり、
かつては、食べ物もいたみやすく、病気にもかかりやすかった。
特に、幼い子供がこの時期に病にかかって命を落とすことが多かった。
だからこそ、端午の節句には子供(特に男子)の無病息災を願ったわけだ。

端午の節句には菖蒲、というのも、邪をはらうとされた菖蒲の葉を軒先に飾って、子供を守ろうとしたもの。
特に、所領をつぐ嫡男が成人することが家の存続のために不可欠だった武家では、菖蒲飾りを重んじ、
さらには、菖蒲と尚武という語呂合わせにより、男子の武運長久を願った。

ちなみに
鯉のぼりも、武家の習慣から生まれた、とか。
はじめ家の幟や旗を掲げたところから、のちに、滝を登って竜と化す、と云われる鯉を幟にして男子の出世を願う、という形も生まれた。
旧暦五月の雨の中を鯉が泳ぐ、というのはまた風情であったろう。

---

こと、茶の湯においても。

新暦の5月5日だったら
場合によりまだ炉の茶の湯をひっぱってもいいくらいでは?
温暖化のせいか、最近ではずいぶん暑いとも言えるけれど
それでも、朝夕にはずいぶん涼しい。
年によって、
肌寒い日が多かったり、
薫風が南から来ないのだったら、
新暦5月5日に炉でもいい、と思う。

新暦・旧暦はさておき、
二十四節季の立夏になったら風炉、という考えもある。
僕は二十四節気も重んじてくらしているので、
それはよし、と思う。

けれど、初風炉は初風炉で、初風炉らしくする、として。
初風炉=端午の節句の趣向で、というのはいかがか?
初風炉と端午の節句はイコールではない。
年周りによって、立夏と旧暦五月五日が近ければ、それで初めて、一緒にするのが筋。
そうでなければ、初風炉は初風炉でやって、その後、旧端午がきたら端午の節句らしい茶をするのが吉。

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とにかく
お茶は季節です、なんて云いながら、新暦しか見ない、というのはナンセンスだろう。

茶の湯は日本の四季を表しています、と仰るお稽古茶道の先生が沢山いるようだけれど、
実際の日本の四季の、今・ここ、をピタリと表現している方は、それほどいない、というのが現実ではないだろうか?

新暦だけで茶の湯をしては、実際の季節と日本の歳時記を趣向とする茶の湯とが乖離してくるケースが必ず出てくるだろう。

ちぐはぐになるくらいなら、季節です、なんて言わなければいい。
なんでもない茶の湯でいいのだから。

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お茶は日本の伝統文化です、なんて云いながら、旧暦や二十四節気を理解せず、古来の伝統行事の本来の姿を知らないんであれば、しようもない。

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とにかく、
新暦と旧暦と二十四節気とを自在に使いながら、
茶の湯そのものを面白くしたいもの。

なにより、
自然そのものを見つめ、自然を感じ、自分もまた自然である、と識って、
僕は僕の茶の湯をしたい、と思う。


今なら、
こんな気候の、
こんな時季なら、

旧暦五月の茶をやってもいい
初夏の茶をやってもいい

もうしばらくしたら
雨の茶の湯をしてもいい


今年の旧暦五月五日は、真夏日で、
真夏の茶をしてもいいような今日だったけれど、
夜には涼風がやってきて、
こんな風に考えさせられた今日だった




(雑感)




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by so-kuu | 2014-06-02 22:16 | 自然ということ | Comments(0)