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<   2013年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧

茶杓の「きまりどこ」 1 節まわり

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茶杓を削ってみる



気付くことがある



いろいろあるけど

例えば、節


中節だとか
上がり節・下がり節だとか

蟻腰だとか
直腰だとか

いろいろ言うけれど

そういう次元の前に


大きな竹片から
茶杓の長さ・太さ(細さ)に削り詰めていく、その途中で

節下・節上を、それぞれ削っていく、その途中で

節のところが、固くて、削りにくい


その節こそが、茶杓のきまりどこ、のひとつなんだろう


いかにも初心者らしいのは

節のところだけが微妙に太くなってしまっている茶杓

(特に、茶杓を手なりにもって上から見る向きでの話)


節は上下に比べ硬くて削りにくく
逆に
節の上下は節と比べて柔らかいものだからつい削り過ぎてしまう
結果として節くれだった形になりやすい


それは、ある意味、自然かもしれない

けれども

よーくみてごらん


それは美しいか?

美しいと思うひとは、そういう茶杓を削ればいい、と思うから、話ここまで





僕個人は、それは、美しくない、と思う


だから

節まわりこそが、茶杓のきまりどこ、のひとつなんだろう

と思う


茶杓を削るなら

おっとりから、節を経て、櫂、櫂先、露、と伸びるライン

茶杓全体の仕上がりの姿をしっかりイメージして

その全体のラインがいかにあったら、この竹が美しいか?

をしっかりイメージして

節をしっかり削ること

それが大事だ

と僕は感じる


節まわりが決まっていると、いいな、と思う

節まわりがぬるいのはイヤだな、僕なら


もちろん

茶杓のきまりどこ、は節だけではない

その他についてはまたの機会に書きとめておこうかな・・・
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by so-kuu | 2013-02-18 22:22 | 茶道具 | Comments(0)

織田有楽は千利休の弟子ではない、と思うけれど・・・

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織田有楽は千利休の弟子、と書いてあることがある
「有楽を利休七哲に数える説もあり」とか、そういう話もある

けれども

僕は

織田有楽は千利休の弟子ではないだろう

と考えている


***

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例えば、茶杓「玉ぶりぶり」を観てみると

下がり節で、滑らかな枉げの有楽茶杓は、艶な感じ
中節ではなく、下がり節、ってところがいいな
古風の茶杓、ということだろう

中節の茶杓、は千利休の創始、と広く言われているけれど
実際には、北向道陳や武野紹鴎門下生の何人かは早い段階で中節茶杓を作っていたようだ

にも関わらず、「中節茶杓は利休が創始」と言いきってしまう、強硬な物言いはいろいろな所で見受けられる

それは、
織田有楽は千利休の弟子であってほしい人たちの言い分じゃあないかな?

利休さまさま信奉者、
とにかく千利休を持ち上げたい人、
そういう立場からものを観たい人達、
千家顕彰推進組織、
そういった人たちの、
ちょっと出過ぎてしまった言動だと思うなあ

だって、
同時期に中節茶杓を作ったひとがいることが確認されているのに、
なぜ、利休一人の創始、と言い切れるのか?
また、
北向道陳作の中節茶杓があるのに、
なぜ、年上であり師匠である北向き道陳が先に作った、と言わず、
年下で教えを受けた弟子である利休の創始、と言いきってしまうのだろうか?
不自然だと思う

いわゆる利休神話を遠目で見れば、

何でもかんでも利休の手柄、というのは、いかにも馬鹿馬鹿しい

もちろん、
事は茶杓の例に限ったことではなくて

利休と同時代の茶人がみんながみんな利休の弟子ではない、
というのでは当たり前のことで、
数寄者の流れというのは、利休に至る系統以外にも、色々あって当然で

そういう風にちょっと引きでみると、
織田有楽の残したものや言葉などをみつめてみると、

織田有楽は、利休一派とは別の流れの茶人、と言えるのではないか?

と個人的には考えている

尾張にいる時から茶の湯をしていただろうし
奈良の松屋など、利休台頭以前からの数寄者とも懇意だったようだし、

信長没後、秀吉に仕える形となったからと言って、
利休や利休七哲たちと茶の湯付き合いがあったからといって、
秀吉の命で、利休から台子の相伝を受けたからと言って、
即ちイコール“有楽は利休の弟子だ”ということにはならない、と思う

有楽は、当時一世を風靡していた利休の茶の湯を、わりと冷めた眼で見ていただろう、と僕は考えている

茶杓「玉ぶりぶり」をみても、そういうことを感じさせられる
流行りの宗易形茶杓でない茶杓を、あえて有楽は作ったのかもしれないし
あるいは、利休流行りなど相手にせず、ただ自分の茶の湯をしていたのかもしれない

***


実際どうなんだろう?


茶の湯の逸話には利休至上主義に基づく神話が多くてげんなりするときがある

だから、有楽が利休の弟子かどうか、について、気になってしまうんだと思う

どの資料がどのくらい信憑性があるのか?とか難しいところもあろうけれど

ご都合主義を排除した実証的な茶の湯史研究、スッキリとした研究成果が求められている、と思うな
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by so-kuu | 2013-02-16 22:36 | 茶人 | Comments(0)

根津美術館 那智瀧図 寿ぎの茶会 玉ぶりぶり 天明責紐釜

根津美術館を訪ねた


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「那智瀧図」

は、やっぱり、すごいな

(坂東玉三郎のお兄さんがよく仰るように)
紙は滝ではないし、
絵具は景色ではない

なのに、
この「那智瀧図」の前に立つと、
自然と、
自ずから、
敬虔な気持ちになれる


これからも、機会があれば、お参りしよう、と思う


すっかりサッパリしたところで、
2階の展示室6へ


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「寿ぎの茶会」


・香炉

は赤絵の大きなもの
バーンと幕開けだな


○瓢花入 銘 狙公(そこう) 千宗旦作

大きくて細長い瓢箪を花入れにしたもの
まあ、侘び茶らしい、ってことでしょうか


・肩衝茶入 銘 榊葉

黒っぽい薬
左に傾いている


○御本立鶴茶碗 無銘

いわゆる御本立鶴
出来もなかなか

家光の絵を手本に、遠州プロデュース、というわけで
そりゃ、当時の武家には文句ないだろうな
御本で絵入、という軽めの作にもかかわらず、濃茶にも使う、というのも、この辺の事情から来るんだと思う

ただひとつ重々しいのは、大きめでたっぷりと深い、ということかな
遠州の時代の茶の湯の好みの変化がうかがわれる一品だと思う


・赤楽富士絵茶碗 伝・覚々斎

伝、ということは、違う、ってことかな
大きくて、ガサッと手強いから、覚々斎でどう?ってところか
少なくとも、伝来がかたくないから、伝が付くんだと思う

いわゆる「伝」モノについての冷めた目での再検証、って必要だと思うなあ
いわゆる茶の湯史には神話やご都合主義が多過ぎるんだろうから


・祥瑞立瓜香合

2013年の勅題「立」にちなんで、とか
この、勅題に因む、ってのが僕にはわからない
というか、相手にしなければいいだけの話か
これまた、茶の湯産業のご都合、ってだけなんだろうから


☆竹茶杓 銘 玉ぶりぶり 織田有楽作

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下がり節で、滑らかな枉げの有楽茶杓は、艶な感じ

中節ではなく、下がり節、ってところがいいな

古風の茶杓、ということだろう

***
中節は千利休が好んだ、と広く言われているけれど
実際には、北向道陳や武野紹鴎門下生の何人かは早い段階で中節茶杓を作っていたようだ
利休神話を遠目で見れば、
数寄者の流れというのは、利休に至る系統以外にも、色々あって当然

織田有楽は、利休一派とは別の流れの茶人と言えるだろう
尾張にいる時から茶の湯をしていただろうし
奈良の松屋や堺津田宗及などとも懇意だったようだし
信長没後、秀吉に下る形となったからと言って、
秀吉の名で、利休から台子の相伝を受けたからと言って、
“有楽は利休の弟子だ”ということにはならない、と思う
有楽は、一世を風靡している利休の茶の湯を、冷めた眼で見ていただろう、と僕は考えている
この茶杓「玉ぶりぶり」をみると、そういうことを感じさせられる
流行りの宗易形茶杓でない茶杓を、あえて有楽は作ったのかもしれないし
あるいは、利休流行りなど相手にせず、ただ自分の茶の湯をしていたのかもしれない
***

ユニークなのは、節裏・節下

蟻腰とは言えないほど極端に削り込んだ節裏
畳に置くと、節上は畳に着くけれど、節下は畳から浮いている
(スケッチの点線はその意味)


薩摩文琳茶入 銘 亀尾

五月に続いて
、改めて観た


・志野源氏香文茶碗

艶あり
女性的
桃山から江戸、と言うが、時代下る?


△桐竹蒔絵棗
△大樋茶碗


○青磁色絵注連縄文茶碗

珍しい手だな
透明感ある青緑の釉肌に
細い線で注連縄の絵
カワイイ


○六角桐文銚子 高橋因幡作

鉄肌細やかで惹かれた
蓋は染付


☆古天明責紐十王口釜

ナリよし
肌よし(岩肌、赤茶色い)
実にけしからん釜

侘び茶の流行と共に取りあげられたのがよくわかる気がする
こうした天明釜の雰囲気が、
利休好み、与次郎釜のモデルにもなったと思う



展示室5 吉祥文様の焼物 Auspicious Symbols on Ceramics


◎白磁刻花蓮花文輪花鉢 定窯 11-12c 北宋時代

白磁、陽刻に、黒(焦茶)のお縁取りが効いていると思う


◎緑彩龍文鉢 景徳鎮窯 大明正徳年製銘 明・正徳時代(1506-1521)

白い地に色絵の龍が上手で、立派


◎淡茶釉三果文碗 景徳鎮窯 大清雍正年製銘 清・雍正時代(1722-1735)

薄茶地の釉キレイ
桃のシルエットがカワイイ


◎志野宝珠香合

宝珠形に、さらに宝珠の絵が書いてある


・色絵鶴亀文香合 野々村仁清作

ぶりぶり形
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by so-kuu | 2013-02-13 22:50 | 茶道具 | Comments(0)

茶杓を削って、知ったこと (自然とヒトとの出会いが・・・)

茶杓を削った


旅路の

一里塚として


2本組み

銘は心に浮かんでいて
そのイメージで削ってみた

参考にした先達の名杓いくつかあった

けれど

こちらの思い描いたようにはならないもの


でも満足

茶杓の姿を最終的に決めるのは、僕ではなくて、竹の方なんだな

こちらのエゴは必ずしも通用しないし

竹そのものがなるようになる、というのがやっぱり美しい


自然に、というのは実に気持ちのいいもので

自然とヒトとの出会いが茶杓を形作っているんだと知った


また

大きな気付きとなったのは、

「手を引く」ということ


(ちょうどこの間TVで楽吉左衛門さんも同じようなこといっていたっけ)


ヒトはついつい手を加えてしまう

ときに手を加え過ぎてしまう

キリのないことだし

取り返しのつかないこともある


よいところで踏みとどまって

「このくらいで手を引こう」

という見極めが出来るかどうか

頃のよいところで収められるか

それが大事だ、

ということが腹に落ちた気がする


やりすぎないこと、

程のよさということは、

茶の湯全般に言えることで

茶事の趣向においても、点前においても、

何においても、同じかも・・・


とにかく、

削りあがった2本の茶杓


これが

今の

僕だ
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by so-kuu | 2013-02-13 22:26 | 自然ということ | Comments(0)

「大名物」 (と「名物」・「中興名物」)

「中興名物」は、名物だろうか?

なんてことを、前回、書いた
けれど


じゃあ、古い方がいいのか?っていうと、また微妙

今回は「大名物」について

---

まず、だいたいの定義として

●「大名物」
 ・・・主に室町時代に足利将軍家が所持していた道具(東山御物)と、利休時代、すでに最高位に評価されていた道具。)

●「名物」 
 ・・・主に利休時代に著名になった道具をいう。織田信長や豊臣秀吉が千利休や津田宗及らに選ばせたり、名物狩りと称して収集したコレクション)

●「中興名物」
 ・・・小堀遠州が取りあげた道具を、後年松平不昧が「中興名物」と名付けたもの

としておく


---

前回は、“中興名物は、大名物・名物のセレクションに漏れていたもの”というようなことを書いたけれど。

古ければ、古いほど、いいのか?

中興名物より名物、名物より大名物が優れているのか?

というと、これまたそうでもないような気が

---

特に、昨今のいわゆる茶道界においては、

利休神話・利休信仰が強く、また、千家の流れを汲む流儀の勢力が強い、と言えるだろう

すると、

利休居士の頃に、利休のいわゆる“侘び茶”の視点で選ばれたもの

=「名物」が、最も人気が高いように思う

---

それは、『山上宗二記』にてすでに始まっていて

例えば東山御物に数えられるような品(=大名物)についても

「当世にては不要」みたいに切り捨てられている

(こうした記述が、昨今の茶の湯名物道具観の礎にもなっているんだろうな)

そんな風に

「大名物」が以外と人気なかったりする

---

例えば

立派な唐絵は小間の床に収まらないからなー、とか

出番を考えると、古い天目茶碗より、断然、楽茶碗だよな、とか

大きな茶壺なんか実際要らないよ、とか

---

してみると、

大名物 < 名物 > 中興名物

みたいな感じが昨今の大勢かなー、と感じられる

言い換えると、

利休以前の茶人セレクト < 利休 > 遠州セレクト

という感じか

---

とはいえ、

モノの好みは、人それぞれ。

遠州が好きなひともいてよし。
利休が好きなひともいてよし。
利休流ではない古の茶人が好きなひともいてよし。

茶の湯は、それぞれだから、面白いんだし。

---

僕も、
しばらく前まで、
「大名物」を敬遠していた
ちょっと古臭過ぎる、というか、
利休時代の美意識で選ばれた「名物」の方が面白く見えて

でも、最近、ちょっと見方、見え方が変わってきた

秋に徳川美術館を訪ねてから、かな?

(そのことは、追って書きとめておこうと思う)

---

いずれにしても、

今度、根津美術館で、「遠州・不昧の美意識」という展覧がある。

楽しみに、観に行こう。

中興名物と、遠州さんの眼と、出会ってみよう、と思う。

また、名物・大名物と、比べてみよう、と思っている。


で、
やっぱり、ああだこうだ言わず、

裸の目玉で、モノと向き合ってみようと思う。
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by so-kuu | 2013-02-09 22:17 | 茶道具 | Comments(0)

初午2013

2013年は、今日が、初午


***

稲荷さんの誕生日とされるのが、2月の初午の日。
これは、和銅4(711)年に、京都伏見稲荷大社(山城国紀伊郡伊奈利山)の (伏見稲荷の)ご祭神である、宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ)が、伊奈利山に降り立ったと言われている日である、との伝承より。

***


伏見稲荷を尊崇する方々には、大事なお祭り

千宗旦さんもそのひとり

「つぼつぼ」の千家替紋もそのご縁で、とか


で、茶の湯で、初午、初午、というんだそうだ


東京にいると、ピンとこないけれど


そういえば、

母の実家には、小さなお社と、不似合いな位大きな鳥居があって、

それがお稲荷さんだった

今日、お供えしてるかな?
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by so-kuu | 2013-02-09 21:54 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

「中興名物」 (と「名物」・「大名物」)

「中興名物」は、名物だろうか?

---

「中興名物」とは、小堀遠州が取りあげた道具で、
それに、遠州を敬愛した松平不昧が「中興名物」と名付けた、
というものである

---

それが名物なのか?そうでもないか?

は、意見が分かれるところだろう。

遠州の好みに共感する人は、あるいは不昧の好みをよしとするひとは、中興名物を名物だと評価するだろうし。
趣味の合わない人にとっては、中興名物は、名物というほどのものではない、となるかも。

---

ここで、ちょっと茶の湯ヒストリーをみてみると・・・

室町時代末期から安土桃山時代に隆盛をみた茶の湯という遊び

徳川時代になって、数寄の御成など、礼式としての茶の湯が成立すると、
諸大名は(好きでも嫌いでも)茶の湯を嗜む必要が生じた

でも、増大する茶の湯の機会に対して、伝世の名物茶道具は圧倒的に少ない

そこに“新たなる名物道具”のニーズが生まれた

で、
3代将軍家光の茶の湯師範の肩書を持った小堀遠州が、
自身の目に適う品物を選び出し、よいものだ、というお墨付きを与えた、ということだろう

諸大名からすると、将軍家の茶の湯師範が認めた品ならば、蔵品に加え、接待に用いる格好がついたのだろう

---

ここで、考えてみれば、
本当によい道具は、それ以前に、すでに名物の扱いを受けているはずで、
それがいわゆる

「大名物」
 (・・・主に室町時代に足利将軍家が所持していた道具(東山御物)と、利休時代、すでに最高位に評価されていた道具。)

「名物」 
(・・・主に利休時代に著名になった道具をいう。織田信長や豊臣秀吉が千利休や津田宗及らに選ばせたり、名物狩りと称して収集したコレクション)

なのだ

---

遠州は、それらのセレクションに漏れた、残りものに、名物のレッテルを張った、とも言えるだろう

あるいは、
時代が下って、茶の湯の好みも変わり、
その時代の茶の湯を主導した遠州が、自身の美意識をもって選んだ、とも言えるだろうけれど

それらの新・名物は、その後ずいぶん経って、江戸後期に、松平不昧によって、「中興名物」と名付けられた

(実は、「大名物」・「名物」も、「宝物」と並んで、不昧による、分類・呼称だとか)

---

さらに時代が下って
近代(明治・大正・昭和)になると、
いわゆる「近代の数寄者」という人たちが現れて
彼らの財力によるいわゆる「道具茶」というのが出てくる

彼らは京都の千家家元の権威を嫌ったのか
いわゆる千家名物をそれほど(千家組織茶道全盛の戦後の茶道界のそれほど)重んじていない

逆に、松平不昧の人気が高かったのが面白い
例えば、高橋箒庵
例えば、小林一三
茶道具コレクションが社交にものを言った、というところが彼らを結び付ける共通項かも?

松平不昧による「雲州蔵帳」と
そして高橋箒庵による「大正名器鑑」によって
いわゆる「中興名物は」は大いに名を上げた

遠州好み・不昧好みの茶道具をよしとする、というひとの多くは
少なからず彼らの影響を受けているようだ

---

さてさて

いずれにしても、

今度、根津美術館で、「遠州・不昧の美意識」という展覧がある。

楽しみに、観に行こう。

僕は、僕の眼で、

遠州さんの眼と、

不昧さんの眼と、

なにより、

たまたま中興名物と名付けられた

裸のモノと

出会ってみよう、

と思う。




名物の分類、といったことについては、追ってまとめておこうかな?

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by so-kuu | 2013-02-08 23:37 | 茶道具 | Comments(0)

五島美術館 時代の美 第3部 桃山・江戸編

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五島美術館を訪ねた

改装した五島美術館
展示室はより暗くなった?


「時代の美 第3部 桃山・江戸編」


○亀甲蒔絵棗

武野紹鴎好み、とか
角ばった感じの棗
袋がいいな
白地間道
に紫の緒
これ頂き

△瀬戸肩衝茶入 月迫

小堀遠州の命銘
中興名物、とか

大したもんじゃないとおもうけどなー


***

徳川時代になって、数寄の御成などが成立すると、
諸大名は(好きでも嫌いでもある程度)茶の湯を嗜む必要が生じた

でも、増大した茶の湯人口に対して、伝世の名物茶道具は絶対的に少ない

そこで

“名物を増しちゃえばいいのよっ”

とばかりに、
当時、3代将軍家光の家茶の湯師範だった小堀遠州が、
適当な品物を選び出し、よいものだ、というお墨付きを与えた、ということだろう

諸大名からすると、将軍家の茶の湯師範が認めた品ならば、蔵品に加え、接待に用いる格好がついた、という事だろう

ここで、考えてみれば、
本当によい道具は、それ以前に、すでに名物の扱いを受けているはずで、
それがいわゆる「大名物」・「名物」なのだ

遠州は、そのセレクションに漏れた、残りものに、名物のレッテルを張った、とも言えるだろう
また、遠州も自身の美意識をもって選んだ、とも言えるだろうけれど
あるいは、時代が下って、茶の湯の好みも変わっていた、ということも感じられる

それらの新・名物は、その後ずいぶん経って、江戸後期に、松平不昧によって、「中興名物」と名付けられた

・・・という話かな

***


○黄瀬戸立鼓花入 ひろい子

利休所持とか
同じく利休所持の「旅枕」が代表ときく
これもいいじゃないか
口の広さ、開き方と全体のラインがいい
だから、ひろい子なんだろうけど


・黄瀬戸一重口香炉 落葉

黄瀬戸ってかんじ


◎瀬戸黒茶碗 武蔵坊

腰の低い器形
ほんのわずか低い高台が削り出してあるようだ
胴には轆轤目
口端はゆるやかな山道
見込は平
釉調はカセている
地の土は灰褐色

ドッシリ
自然体
泰然、って感じ

武蔵坊、との銘は見事
名前によってモノ自身の持つ質感やイメージが増幅するような、好例だと思う


・鼠志野茶碗 峯紅葉
・志野茶碗 梅が香

特にコメントなし


・信楽一重口水指 若緑

松平不昧の命銘とか
あまりピンとこなかった

僕の場合、
信楽の見所は土味そのものであって
ビードロ釉がたっぷり掛かればよいものだ、とは思っていない
時に邪魔だとも感じることもある


・黒織部茶碗 わらや

織部好みの代表格とも言えるんだろう
僕は興味がない

ただ、
裏の漆銘は千宗旦だとか

であるなら、
宗旦がこのわらや茶碗でどんな茶の湯をしたのか?
という点には興味がある
その席に呼ばれてみたい、と思う

後世の僕らが想像するのとはずいぶん違った茶の湯をしていたのかもしれず
そうであってほしいような気もするなあ

(宗旦自身は、千家の茶、などと言うことは考えていなかった、というのが僕の推測・持論だ)



△古伊賀耳付花入

わざとらしー


△古伊賀水指 破袋

古田織部が傑作だと極めている書状があった、関東大震災で焼けた、とか
ある意味、桃山陶の代表作のひとつで、好きな方も多いんだろうな
僕は興味なし
ところで、
この「破袋」という銘は昭和・戦後になってからの呼称なんだって


○古備前耳付

織部以降のグニャリズム陶
僕は基本的に興味がないのだけれど
その手の中で、備前の花入はキライじゃないな
どうしてだろう?


これもなかなか
ちょっと大き目かな


◎古備前徳利

いいな、コレ
曲線・フォルムが美しい
首辺りの細さと胴腰のグラマラスな感じのコントラストもいいな
肌合もいい
大きくて、懐石の相伴の際、ドーンと預けられる感じ


・赤楽茶碗 夕暮 長次郎作

宗易形・長次郎形の一典型
しずかな系統というのか
太郎坊とかまこもとかとも近いかな

口は一文字、内抱え
胴は真っ直ぐ

肌はピンクと言うよりオレンジと言うかテラコッタ色っぽい
口端の方がクリーム色なのが珍しい

銘は宗旦による


・黒楽茶碗 千声 長次郎作

俊寛を小振りにした感じ、というところか
口は山道
釉はややカセ(俊寛ほどマットではなし、東陽坊ほどツヤツヤでもなし)で、荒れ気味
長次郎では腰張りな方


△黒楽茶碗 悪女 常慶作

ザラザラの肌
やや赤みを帯びている
腰が付き出している
見込に大きな茶溜り

極端な造形が常慶と言われる所以か

***

利休の失脚・自刃後、
千家も楽家も生き残りをかけて四苦八苦した時期があったはず
常慶が楽家二代目とされる理由やその謎も、その辺の事情と重なるのだろう

そのためかどうか?わからないけれど
常慶あたりの作風は幅があって面白い、と感じる
香炉釉・白楽とか、井戸形とか、天目形とか
求められるものを、試行錯誤しながら作っていたんだろう

そもそも長次郎は瓦職人であって、茶碗師ではなかったのだ
少なくとも、今日のように、楽家、なんて言われてはいなかった、その感じがいい

常慶は、また、本阿弥光悦とも通じていた、というけれど
本阿弥光悦の筆による「おちやわんや」の暖簾は、
三代のんこう以降のものだろうな

***



○黒楽茶碗 三番叟 道入作

丸っこい器形
いわゆる幕釉
よく溶けてツヤツヤの漆黒釉

のんこうらしい作
僕は興味なし

ただし
のんこう茶碗でたまらなく好きなのは
見込

見込の静かな丸みが素晴らしい

茶だまりのない
見込みと腰の境目もわからないような
なめらかな丸み

***

僕は
黒楽茶碗には
茶溜りがあっては台無し
だと思っている

茶をすする際
顔が茶碗に近づき
目線と意識が茶碗の中に入っていく時
茶だまりのない
静かで真っ暗な見込は
僕に宇宙的な広がりを感じさせてくれる

一碗の中の宇宙、ってやつかな

茶溜りがあると
茶溜りそのものの景色が目に入ったり
茶だまりのカーブのところの釉薬が外の明るさを反射してしまったりして
その宇宙は表れてこないように思う

***


○黒楽茶碗 七里 本阿弥光悦作

黒楽
所々掛け外し
拭き取ったようにも見える
口辺はザクッと切りまわされている
腰は角張っている
見込は平ら
低い高台
カキッとした茶碗だ


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○赤楽茶碗 十王 本阿弥光悦作

赤楽
よく溶けてツヤツヤ
丸々とした形
小さな高台
まろん、とした茶碗だ

手取りはいいだろう、ほっこりとして
お茶が飲み易いか、はどうだろう?


***

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数ある光悦の茶碗の中で

七里と十王をコレクションに収めた五島慶太氏

いかにも仕事できそう

もちろん好きだから手に入れたのだろうけれど

カキッとした黒楽と
まろんとした赤楽を
好対照の光悦黒赤をセットで持つとは

最大公約数を得るような蒐集
ビジネスマン的、投資家的かも

同じ、光悦2碗持ち、でも、
時雨と乙御前を持った森川如春庵氏とは、これまた、好対照だな

(この話は別途書いてみようかな)

***


<書状>

武野紹鴎
明智光秀
織田信長
豊臣秀吉
古渓宗陳
千利休
古田織部
小堀遠州など

が沢山出ていて
それぞれに見応え有
筆に接して人に触れる
ということがあるよな

中でも、特に、


☆有馬茶会記 友阿弥筆 阿弥陀堂宛

が面白い
実際の“茶会の指示書”
道具組み、客組みなどが書かれている


*秀吉・利休から、織部、遠州、と時代が下がるにつれて、武人が暇になっているのがわかる気がする



(以上、備忘録)

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by so-kuu | 2013-02-08 10:35 | 茶道具 | Comments(0)

【番外】 個性とは・・・? 茶の湯とは・・・?

TVをつけたら

『オデッサの階段』という番組に

建築家・隈研吾氏が出ていた


番組曰く、

「隈研吾の個性とは、揺るぎない自信である。」

そうなのか、どうなのか、僕は知らないけれど


うーん


個性とは?とか

自信が個性だ、とか


世間では、とかく、


個性、個性、と言う

個性ということ、を問題にする


けれども


そもそも

個性、ってそんなに問題?

個性、個性と言わなければいいだけの話じゃないのかな?


“美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない”

と、小林秀雄は言った


同じく

個人、個人があって、「個性」というようなものはないのだ

ということじゃあないのかなー?


***


追記:

このBLOGは僕のメモなのだけれど

『茶の湯とは・・・』

なんて名前をつけた


けれど


茶の湯をする、

そこに茶の湯があるだけであって、

「茶の湯とは・・・」などというようなこと

あるいは

茶の湯というようなもの

なんて、どうでもいいんだろうな
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by so-kuu | 2013-02-07 23:42 | 茶の湯とは… | Comments(0)

「七里」と「十王」 、「時雨」と「乙御前」 ~ 五島慶太と森川如春庵

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五島美術館で、

本阿弥光悦作の楽茶碗、

「七里」と「十王」が並んでいるのを観ていた

で、

ふっと思った


「・・・いかにも仕事できそう・・・」


---

数ある光悦の茶碗の中で

七里と十王をコレクションに収めた五島慶太氏

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もちろん好きだから手に入れたのだろうけれど

カキッとした黒楽と
まろんとした赤楽を
好対照の光悦黒赤をセットで持つとは

光悦を2碗で網羅するような
投資の費用対効果を最大化するような
ビジネスマン的なコレクションだと感じた

慶太氏は、
鼠志野茶碗「峯紅葉」を最も愛した、と聞く
美濃や伊賀など織部好みの時代の豪放な桃山陶が、基本的な彼の好みだろう

光悦の2碗に共通するものがあるか?
というと何とも微妙なところだ
光悦も織部の弟子であり
ダイナミックな造形の面白さを楽しんだ茶の湯をしただろうことは想像出来る
でも、ちょっと違う気もする

“近代の数寄者”は、ほとんど皆、ビジネスマン、実業家だったのだけれど、
中でも、五島氏は、自らの好み・美意識よりも網羅的なコレクションを、世評や投資対象としての価値を重視したタイプのような気がするなー

僕だけかなー?
「強盗慶太」の異名に僕の眼が曇っているだけかなー?
実際のところ、どんな感じだったのか?ちょっと気になった

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光悦2碗を所持した、と言えば、

一方に、森川如春庵氏がある

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彼が持ったのは、

「時雨」と「乙御前」

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黒と赤
だけれど
共通する美・特徴・佇まいを持った2碗だろうと思う

森川如春庵さんは、
自分の美意識で、それだけで、自分の好きな茶碗を二つ求めたんだろう
2つが似ていて、両方持つのはもったいないな、などとは考えなかったろう

聞けば、森川家は素封家で、如春庵は働いたことがない、とも
彼は、ただただ、自分の美の世界に遊んだ人だったのかな

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七里と十王も好対照なら、

五島慶太と森川如春庵も、これまた、好対照ではないか

上野毛駅のホームで、ぼんやりと、そんなことを考えていた

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いずれにしても

ここ数年来

茶の湯の道具と向き合ってみて

モノそのものを自分の眼玉で見る

ということを続けてきたのだけれど

最近では

ちょいと
心や頭も働いてしまって

茶道具を通して茶人を観賞する

ようになったかも

それが茶事の楽しみなのだから
それも悪くなかろう、と思う


けれど

根本は

頭や心を放下して

裸の眼でモノと向き合う

ということだ

忘れないようにしたい



(つらつらメモ)
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by so-kuu | 2013-02-06 23:29 | 茶人 | Comments(0)