カテゴリ:茶禅一味( 38 )

青山と白雲


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by so-kuu | 2015-01-01 07:00 | 茶禅一味 | Comments(0)

白雲と青山 (2015年乙未元旦に)

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今年はこれに参じてみよう
















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by so-kuu | 2015-01-01 06:00 | 茶禅一味 | Comments(0)

八角磨盤空裏走 ~天然忌に



***

八角磨盤空裏走

***


表千家七代
如心斎天然宗左宗匠
宗峰妙超禅師のこの言葉に
大悟した、という


ハッカクノマバンクウリヲハシル


そんなことが?


あるんだな




旧暦八月十三日は
表千家七代
如心斎天然宗左宗匠の命日
現代では
新暦の9月13日に
表千家を中心に「天然忌」が行われる









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by so-kuu | 2014-09-06 22:03 | 茶禅一味 | Comments(0)

「初発心の時、即ち正覚を成じ、生死を動ぜずして、涅槃に至る」。


***

初発心の時、即ち正覚を成じ、生死を動ぜずして、涅槃に至る

***


明庵栄西禅師の言葉だ

今日はお誕生日とかで
京都・建仁寺では例の「四つ頭茶会」

そろそろ八十八夜
茶の芽の嬉しい季節でもある





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by so-kuu | 2014-04-20 22:47 | 茶禅一味 | Comments(0)

haiku, or butterfly's dream?



***

white butterfly flying
around the violet field, i see
or whose dream is it?

***

菫野に
蝶々眩し
誰か夢の

***



参考:







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by so-kuu | 2014-04-10 07:51 | 茶禅一味 | Comments(0)

洗心 (今度 生まれる ときは)

掃除に精を出す


詩の一篇をくちずさむ


***


どっぷり 汚れた 雑巾 片手
掘ったて小屋の窓ガラス 拭き終われば

果て知らず 空晴れて
春待たず 咲き狂うかよ ラッパ水仙
樹々の根っこ 噛みちらす
瓜坊の森 近く
立ち小便しながら 呟く

  今度 生まれる ときは
  雑巾に
  瑠璃色の 雑巾に なろう

  使えば 使うほど
  今日の空に 近づく
  瑠璃色の 雑巾に なろう  

  おのれを 汚して 窓ガラスを
  台所を 便所を 拭きあげよう
  また 差別を 戦争を 拭きとばそう

  もし 世界が あるならば
  その 片隅から 磨くとしよう
  もし 永遠が あるならば
  いつもの 一瞬を 輝かすとしよう

冬至過ぎて 十日あまり
母なる太陽 ギン ギン

不意を打つ 北の突風
森の枯葉を 吹きちらせば

まぶしい 真昼の光 背なに
赤茶けた 翼 きらり
舞い降りてくる 迫ってくる
あれは 鷹 それとも天狗 もしかするとUFO?

大地へ沈む 影 追えば
アリャリャ たなごころへ 沈む
赤茶けた 小楢の枯葉

  太陽コロナの 花園に住み
  果て知らず 虹の根っこ 噛みちらし
  人は呟く

    今度 生まれる ときは


・・・「今度 生まれる ときは」 ななお さかき(ナナオサカキ)


***



・・・洗心・・・



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(参考画像。WWWより。)
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by so-kuu | 2014-01-05 22:52 | 茶禅一味 | Comments(0)

洗心 (2014年甲午元旦に)

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***


洗心


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今年はこれで参ろう
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by so-kuu | 2014-01-01 07:00 | 茶禅一味 | Comments(0)

茶道に於て野狐禪が虚假威に茶禪一味などの語を振り廻すのは全く迷惑至極な話

***

茶人がよく茶は禪から出たものであると自慢するが、そのやうな連中に限つて、禪の何物であるかの片鱗にさえ觸れて居ないのだから笑はせる。
茶が禪から出たが故に難有いならば茶道に精進するのを止めて、其の源流に入つた方が面倒もなく、効果的である。
(中略)
參禪すれば精神的修養は得られたかも知れないが、本當の悟道は口で云ふ程簡易なものではなし、生半可な參禪は觀念の遊戯に過ぎず、僧堂を一歩出れば世を迷す謂所野狐禪に終るのである。
茶道に於て野狐禪が虚假威に茶禪一味などの語を振り廻すのは全く迷惑至極な話である。

『茶道爐邊夜話』

(BLOG『なにがし庵日記』にて発見)


***


>茶人がよく茶は禪から出たものであると自慢する

そんなのはでたらめ、というかいわゆる茶道界に属する人間の事実を無視した願望だろう
そんな事を平気で言える人はちょっと信用出来ないな

>生半可な參禪は觀念の遊戯に過ぎず、僧堂を一歩出れば世を迷す謂所野狐禪に終るのである。

ホント、そうだな

>茶道に於て野狐禪が虚假威に茶禪一味などの語を振り廻すのは全く迷惑至極な話

全くその通りだろうと思う


気をつけて歩もう
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by so-kuu | 2013-09-09 22:00 | 茶禅一味 | Comments(0)

みる、そして、黙っている

***

みろ

そして

だまっていろよ

***



美しいものと出会う

美しいものをみる


すると

ひとは

ついつい

ナニヤカヤ

喋ってしまうらしい


でも

それ

要るかなあ?


その美しいものについて

あるいは

そのものの美しさについて

語りたくなってしまう

というのもある


または

それ以前に

その美しいものと

自分たった一人で

ただ黙って向き合うことに

耐えられないのかもしれない

そして

頭なんぞを働かせ

言葉なんぞを吐いてしまうのかもしれない


けれども

美が

いや

美しいものが

ヒトを

沈黙させる

それを受け止めることだ

その沈黙に耐えることだ

だって

頭を使った途端に大切なものが消えてしまう

言葉にした途端に本当のことから遠ざかってしまう


ただ

黙って

そのものを

ただ

見つめろ


みて

そして

黙っていろ


頭脳や

心とかいうものや

言葉など

放下しろ


沈黙に耐えろ

そのままにしろ



***

みろ

そして

だまっていろよ

***








(自分へ)
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by so-kuu | 2013-05-10 12:58 | 茶禅一味 | Comments(0)

「ものというのは結局、自分の心を反映するんですかね。」 楽吉左衛門さんの言葉から

***

まあ、ものというのは結局、自分の心を反映するんですかね。
だから所詮、待庵に座って利休を捉えたって思っていても、
結局は自分の心の反映なのかと思ったりもする。
ここにあると仮定する苦悩は所詮、僕の中にあるものなのかもしれない。

***

『利休の風景』
の中で、山本兼一さんと対談する、
楽吉左衛門さんの言葉だ

楽さんは、それより前に、

***

ともあれ、僕は僕の目線でしか利休を捉えることができないんですが、
僕の身の丈で捉えれば、
やっぱり「利休は表現者だ」という一点でしかない。

***

とも言っているんだけれど。

それは、僕から見ると、
楽さんが自分を表現者だと思っているから、
その身の丈で、千宗易という人をも、表現者として捉え、表現者としての部分を見ている、
利休のつくった物を見る際にも、物そのものをみていながら、その表現をした表現者について思う、という作業をしている、
ということだと思う。

面白いことだ。

利休さん自身が自分を表現者だなどと思っていたかどうか?は不明だ
けれど、そういう風にみたい人はそういう風に見る、みようとする

ひとは、
みな、それぞれに、
自分の眼や、また心や思想や、あるいは癖でもって
この世界をみているんだろう。

大勢の人が同じものやことがらをみても
ひとはそれぞれ、
みたいようにみていて、
その景色は全く別のもの
なのかもしれない。

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by so-kuu | 2013-05-10 11:58 | 茶禅一味 | Comments(0)