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カテゴリ:茶人( 58 )

「世界で一番貧しい大統領」の言葉から

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***

質素な暮らしぶりから、「世界で一番貧しい大統領」として注目を集めた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、近く出版社などの招きで初来日する。「清貧の思想」を地でいく農園暮らしの根っこには、いったい何があるのか。いまも上院議員として、国民から熱い支持を受ける政治家の自宅を訪ね、その原点を聞いた。

     ◇

 首都モンテビデオから車で30分。畑のわきの小さな平屋で、ムヒカ氏は上院議員の妻と2人で暮らす。愛車は1987年製の昔懐かしいフォルクスワーゲン。自ら家事をし、畑も耕す。秋を感じる南半球の3月。トレパン姿で出てきたムヒカ氏が、庭のベンチに腰を下ろした。

■大統領公邸に住まなかった理由

 ――とても静かですね。

 「いいところだろう。この国は自然豊かで、とても美しい。特にこんな小さな村は年寄りが暮らすには、もってこいなんだ」

 ――大統領公邸には結局、引っ越さなかったそうですね。

 「当たり前だよ。私はもともと農民の心を持って生まれた。自然が大好きなんだ。4階建ての豪邸で30人からの使用人に囲まれて暮らすなんて、まっぴらだ」

 ――アラブの富豪が、あなたの愛車に100万ドル払うと購入を申し出た噂(うわさ)を聞きました。

 「本当の話だ。息子が珍しい車を集めていると言っていたな。もちろん断ったさ。あの車は友人たちからもらった大事な贈り物だ。贈り物は売り物じゃないんだよ」

 ――「世界で一番貧しい」という称号をどう思いますか。

 「みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」

 「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」

 ――幸せだと感じるのは、どんなときですか。

 「自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているときさ。いまは冬に向けて、ビニールハウスにトマトの植え替え作業をしているときかな。それに幸せとは、隣の人のことをよく知り、地元の人々とよく話し合うこと。会話に時間をかけることだとも思う」

 ――大都会の生活では難しいですね。

 「人間が犯した間違いの一つが、巨大都市をつくりあげてしまったことだ。人間的な暮らしには、まったく向いていない。人が生きるうえでは、都市は小さいほうがいいんだよ。そもそも通勤に毎日3時間も4時間も無駄に使うなんて、馬鹿げている」

 ――でも、東京で私たちはそうやって暮らしているのです。

 「効率や成長一辺倒の西洋文明とは違った別の文化、別の暮らしが日本にはあったはずだろう。それを突然、全部忘れてしまったような印象が私にはある」

 ――2012年にブラジルの国連会議(リオ+20)でした演説は、日本で絵本になりました。

 「このまま大量消費と資源の浪費を続け、自然を攻撃していては地球がもたない、生き方から変えていこう、と言いたかったんだ。簡素な生き方は、日本人にも響くんだと思う。子どものころ、近所に日本からの農業移民がたくさんいてね。みんな勤勉で、わずかな持ち物でも満ち足りて暮らしていた。いまの日本人も同じかどうかは知らないが」

     ◇

 60~70年代、ムヒカ氏は都市ゲリラ「トゥパマロス」のメンバーとなり、武装闘争に携わった。投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったこともある。

■獄中に14年、うち10年は独房に

 ――軍事政権下、長く投獄されていたそうですね。

 「平等な社会を夢見て、私はゲリラになった。でも捕まって、14年近く収監されたんだ。うち10年ほどは軍の独房だった。長く本も読ませてもらえなかった。厳しく、つらい歳月だったよ」

 「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」

 ――刑務所が原点ですか。

 「そうだ。人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」

 ――独房で何が見えました?

 「生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」

 「もう一つ、ファナチシズム(熱狂)は危ないということだ。左であれ右であれ宗教であれ、狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。憎しみのうえに、善きものは決して築けない。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」

 ログイン前の続き    ◇

 民政復帰とともに85年に釈放されたムヒカ氏は、ゲリラ仲間と政治団体を創設。89年にいまの与党、左派連合「拡大戦線」に加わった。下院、上院議員をへて昨年まで5年間、大統領を務めた。

■「お前は王子様かというような政治家が」

 ――有権者はあなたに何を期待したのでしょう。

 「自分たちの代表を大統領に、と思ったのだろう。特に貧しい層やつつましい中間層がそうだ。特権層には好かれなかったが」

 「貴族社会や封建社会に抗議し、生まれによる違いをなくした制度が民主主義だった。その原点は、私たち人間は基本的に平等だ、という理念だったはずだ。ところが、いまの世界を見回してごらん。まるで王様のように振る舞う大統領や、お前は王子様かという政治家がたくさんいる。王宮の時代に逆戻りしたかのようだ」

 「私たち政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなんだ。一部特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう」

 「それに最近の政治家は退屈な人間が多くて、いつも経済のことばかり話している。これでは信頼を失うはずだ。人生には、もっとほかに大切なことがいろいろあるんだから。たとえば、街角で1人の女性に恋してしまうことに経済が何の関係がある?」

 ――実際、既成政治への不信から米国ではトランプ旋風が起きています。代議制民主主義が機能していないとも言われます。

 「いまは文明の移行期なんだ。昔の仕組みはうまく回らず、来たるべきものはまだ熟していない。だから不満が生まれる。ただ、批判ができるのもそこに自由があるからだろう。民主主義は欠陥だらけだが、これまで人が考えたなかではいい仕組みだよ」

 「それに時がたてば、きっと新しい仕組みが生まれると思う。デジタル技術が新しい政治参加への扉を開くかもしれないし」

 「ドイツスイスでも政治に不満を持つ多くの若者に出会った。市場主義に流される人生は嫌だという、たっぷり教育を受けた世代だった。米国でも、大学にはトランプ氏とは正反対の開放的で寛容な多くの学生がいる。いま希望を感じるのは彼らだね。貧乏人の意地ではなく、知性で世界を変えていこうという若者たちだ」

     ◇

 かつてウルグアイは「南米のスイス」と呼ばれ、福祉国家を目指して中間層も比較的厚かった。民政移管後は格差が拡大。01年のアルゼンチン経済危機の余波も受けて不満が高まり、ムヒカ氏らの左派政権誕生につながったとされる。ムヒカ氏の退任前の支持率は65%に達した。

■国家に何でも指図されてはいけない

 ――かつて収監されていた刑務所が、きれいなショッピングモールになっていますね。

 「私も行ってみたんだが、まったく驚いたよ。まさにグローバル化の象徴だ。でも、人って馬鹿だよね。簡単に宣伝に支配されて。奥さん、このクリームをつけたらシワが消えますよだなんて、うそっぱちに決まっているのに。そんなものに大枚を払うんだから」

 ――格差が広がったのは?

 「次々と規制を撤廃した新自由主義経済のせいだ。市場経済は放っておくと富をますます集中させる。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介入する。公正な社会を目指す。それが政治の役割というものだ。国家には社会の強者から富を受け取り、弱者に再分配する義務がある」

 「れんがみたいに、みんな同じがいいと言っているわけではないよ。懸命に働いて努力した人が、ほうびを手にするのは当然だ。ただ、いまはどうかね。働いてもいないような1人のために、大勢が汗水たらしている世の中じゃないか。これは気に入らない。富の集積にも限度がある」

 「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これは、まずい」

 「いま中南米が抱えている最大の戦略的リスクは、いい関係を保つべき欧州諸国がテロなど自らの問題で手いっぱいになる一方で、中国が日に日に存在感を増していることだ。一国に深入りしすぎると我々が危うい。もっと関係を広げていきたいんだ」

 ――ご自身を政治的にどう定義しますか。

 「できる限り平等な社会を求めてきたから左派だろう。ただ、心の底ではアナキスト(無政府主義者)でもある。実は私は、国家をあまり信用していないんだ」

 ――えっ、大統領だったのに?

 「もちろん国家は必要だよ。だけど、危ない。あらゆるところに官僚が手を突っ込んでくるから。彼らは失うものが何もない。リスクも冒さない。なのに、いつも決定権を握っている。だから国民は、国家というパパに何でも指図されていてはいけない。自治の力を身につけていかないと」

 ――主張の異なる多くの勢力を与党にまとめるのは大変でしょう。

 「急進左派から社会主義者、中道左派まで大小30ほどの派閥を抱えている。意見が対立し、少数派に理があることもある。でも十分に話し合った末に多数決で出した結論には、みんな従うんだ。それが民主主義の流儀というものだろう。我々にはすでに45年の歴史の積み上げがある。選挙対策の野合なんかじゃないよ」

スアレス選手を迎えに行った理由

 ――余談なんですが、14年のサッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の試合中、相手選手にかみついたとしてウルグアイ代表のスアレス選手が国際サッカー連盟(FIFA)から厳罰処分を受け、先に帰国したとき、大統領だったあなたは空港まで迎えに行かれたそうですね。あれは、なぜですか。

 「彼はとても貧しい地区の出で、とても複雑な人生を送ってきた若者なんだ。あんなことになって心が折れそうになっていた。君は愛され、認められているんだと言って、支えてあげる必要があると思ったんだ」

 「確かにプレー中のあの行為はまずかったし、出場停止などの制裁を受けることについて異存はない。でも、チームメートから切り離し、まるで犯罪人のようにスタジアムやホテルから追い出したのは、とんでもない間違いだ」

 ――スアレス選手の反応は?

 「うれしそうだったよ。あいつは普段はとても気高い若者なんだが、頭よりもつい足首でモノを考えるところがある」

 ――日本で何をしたいですか。

 「日本のいまを、よく知りたいんだ。世界がこの先どうなるのか、いま日本で起きていることのなかに未来を知る手がかりがあるように思う。経済も技術も大きな発展をとげた働き者の国だ。結局、皆さんは幸せになれたのですか、と問うてみたいな」(聞き手・萩一晶)

     ◇

 Jose Mujica 1935年生まれ。左翼ゲリラ、農牧水産相をへて2010~15年に大統領。12年の国連会議での演説は、日本では絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(汐文社)として刊行された。3月には地元記者の密着ルポ「ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領」(角川文庫)も出版された。

***

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by so-kuu | 2016-04-06 22:12 | 茶人 | Comments(0)

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by so-kuu | 2015-05-27 22:21 | 茶人 | Comments(0)

古田織部四百年遠忌追善茶会 at 大徳寺

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***

 「へうげもの」織部しのぶ 京都・大徳寺で四百年遠忌茶会
 「天下一」とも言われた大名茶人古田織部の四百年遠忌追善茶会(同茶会実行委員会主催)が
 命日の11日、京都市北区の大徳寺で催された。
 茶道研究者や数寄者らが趣向を凝らした席に約千人が訪れ、ゆかりの茶道具などで先人をしのんだ。
 古田織部(1543~1615年)は千利休の高弟の1人で、利休没後、「へうげもの」と称される大きくひずんだ
 茶碗を用いるなど大胆で自由な茶風を示し、茶器制作にも「織部好み」の影響を残した。
 この日は、筒井紘一・今日庵文庫長や木下收・北村美術館長ら6人が、黄梅院と芳春院、総見院の
 3塔頭に、それぞれ濃茶席と薄茶席をしつらえた。
 織部筆の消息を床にかけたり織部が所持したと伝わる黒茶碗や茶入、水指、好みの道具を用いたりして
 往時の茶会をたどった。
 同実行委員会の宮下玄覇・古田織部美術館長は「織部の茶は、道具の一つ一つをみても人を
 楽しませた。
 節目を機に、さらに親しんでもらいたい」と語った。」
 (京都新聞掲載)

***



今年来年は400年の節目か

こんな茶会やってたんだった






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by so-kuu | 2014-06-12 22:54 | 茶人 | Comments(0)

織部忌に

6月11日は

古田織部の命日だそうだ


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菩提所である京都・興聖寺では、「織部忌」と称して薮内流の家元による供茶式をするとか
藪内剣仲が織部の妹を娶ったとかで、また織部の茶室「燕庵」も剣仲に贈られたんだとか


古田織部がまた人気のよう

漫画『へうげもの』のヒットもあってか
「へうげもの」作者のひとつの解釈(あるいは推察あるいは創作)を史実として見るひともあるよう

いわゆる「利休神話」に続いて
新たな「織部神話」も生まれそうな感じ


また
本阿弥光悦が近代以降に特に人気を得たのと似た感じで
古田織部は現代において受けやすいのかもしれないな


僕は
いわゆる美濃織部系統の茶陶があまり得意ではない
織部のやった茶の湯というのも大好きというのでもない

けれど
面白い人だったんだろうな
そう思う

これは
織部に限らず
大名茶人に限らず
茶の湯創成期から桃山時代・江戸初期にかけて
創意なくして名を取った茶人はいなかったろう

その人の茶の湯が面白かったから、茶人として名を取ったのだろうし

だから
古田織部に茶の湯に招かれることがあれば
是非とも参上したいと思う

そして
自分の五感で
古田織部の茶の湯と出会いたいと思う

それは不可能だというのであれば
せめて
現代の目でみるのでなく
後付け神話を鵜呑みにするのでなく
なるべく一次資料に近いものに当たって
信憑性の高い織部の遺物に当たって

自分の眼で観て
自分のカラダで古田織部に会ってみたい
そう感じる





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by so-kuu | 2014-06-11 22:12 | 茶人 | Comments(0)

茶数寄の旅 京阪神 2014春 大徳寺・聚光院 千家墓所

大徳寺山内の塔頭の一つ、聚光院

三好家の菩提寺であり
三千家の墓所でもある

千家に連なると言うのでお参り希望者も多いんだとか
特別公開中に寄ってみた

庫裏の玄関前に小さな扉を入るとそこが三千家の墓所
三つの家があるからか、結構広い

真ん中辺りに、
田中宗易、千利休居士のお墓

僕も茶の湯をする身なので
ご挨拶した



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by so-kuu | 2014-03-24 22:47 | 茶人 | Comments(0)

亭主とDJ (茶事とダンス・パーティー)

僕は

以前

音楽を聴いたり演奏したりしていた

一頃はクラブやパーティーでDJをしていた

その後

中古盤屋や地下室やスタジオを離れて

静寂の音や自然の姿を求めて

山登り・山歩きをして

外国や田舎を旅をして

それから

茶の湯をして遊ぶようになった


そんなこんなが僕の茶の湯をつくっている

と感じている


そして

かねがね


茶の湯の亭主とパーティーやクラブのDJとには通じるところがある

と思っている


音楽においては

そもそも楽曲はそれを作った音楽家のものだけれど、

DJが選んで、繋いで、一連のDJプレイとすることで、

一楽曲だけでは済まない、一連の音楽の流れとなって、

そのDJならではの、ひとつの世界が現れ出で、

ある一晩のパーティーが出来上がる


茶の湯においては

茶道具ひとつひとつは工人や茶人の創作だけれど、

それを亭主が取り合わせて、自らの茶事をすることによって、

茶道具単体では表現しえない別世界、その茶事の趣向や亭主の好みが現れ、

ある一期一会の茶事が現出する


それらはともに、

その日、その場だけのためのアートだ

そして

素晴らしい音楽も、最高のヴァイブスも、その時その場だけのもので、演奏が終われば何も残らない し、全く同じ演奏は二度と生まれない


茶事の道具組みも、

まずは亭主の作品であって、

次に亭主に呼ばれた客のためのものであって、

それ以外のだれのものでもない

そして、根本的には、二度とはない、一期一会のものだ


もうひとつ


DJだけではパーティーにならない

一方的にプレイしても楽しくならなくて、

客の様子をよーく感じながら、時にジワジワ、時に大胆に、自分もお客も一緒に気持ちよくなれるように、とプレイしている

聴いて、踊っている方は、一見受け身なようでいて、実は、音楽への自分のリアクションが、DJを動かし、コントロールしてもいる

DJとゲスト、プレイヤーとオーディエンスが響き合わないと、一座建立しないんだな


茶の湯も

亭主だけでは茶事は出来ない

客だけでもダメ

亭主は存分に自らの茶の湯をプレイしつつ、客を感じて、客をもてなす

客もまた、亭主の茶の湯を感じて、亭主をもてなす

主客が呼吸を合わせてゆき、いつか、主客がなくなる、そんな一瞬が、茶の湯の理想だな



さてさて


ふと思うところあって

ちょっとメモる







追記:



音楽では

DJがプレイする音源は、多くの場合、自身が作った音源ではなく、他所の誰かがクリエイトした楽曲を用いる

かつて

“編集することは創造することだ”とかなんとか、そんな風に言って憚らないDJが幅を利かせた頃があって

その時、僕はちょっとした違和感を感じていていた

確かに、ある楽曲も、どんな風に切り取るか、選び、使うかによって、全く違った風に響く、それは事実だ

けれど

僕は、それはそれとして、元の音源を無から創造したひとへのリスペクトを忘れたくないな、と感じたのだった


茶の湯においても

茶道史初期の茶道具は、中国からの、あるいは朝鮮からの、南蛮の島々からの、輸入品の転用から始まった

一方、そうしたものを、単なる舶来趣味を超えて、独自の美意識に基づいて、選び、取り上げ、見立て、使って、楽しんだ、茶の湯創成期の茶人の眼力や美意識は、たいしたもんだ、と思わされる


そうした数々の茶道具を駆使して、どんな風に取り合わせて、どんな茶の湯を表現するか、を競い合うようになる

茶人同士の交遊の中で、ある日、傑出した道具組をして、目の覚めるような趣向で、これまで誰もなし得なかったような茶の湯をした茶人は、茶人としての評判をとった


そのうち、茶人たちは、国焼きの器を用い始め、

また、竹の茶杓や好み道具など、自らの美意識を具現化する茶道具を作ることを始めた


さらに時代が下ると、いわゆる道具組みにも、定型が出来、茶の湯の定型化が始まる

小堀遠州や松平不昧、千家をはじめとした流儀の宗匠など、茶道具の価値を定義づける、いわゆる権威も生まれてくる

近代には、いわゆる数寄者の茶の湯の流れの中で茶道具の価値が再定義され、

戦後には、千家を中心としたいわゆる流儀の茶、稽古茶道が隆盛するよとなる

茶の湯も、さんざん消費されて、定型化の極み、というか、形骸化というか

面白くもない茶の湯がダラダラと垂れ流され、また消費されているかもしれない


けれども

僕は、ある茶道具に触れる時、

そのモノ、それ自体をゼロから生み出したひと、ゼロから生まれ出てきたものソノモノを、まずはちゃんと見つめたい、と思っている


昨今、茶道具を茶道具としてしか見ない、ということに、ちょっとウンザリする時がある

400年この方誰かさん達がご都合で吹聴してきたことを、ただ真に受けて、いわば色眼鏡をかけてモノをみている、人の言葉の受け売りを、自分の感想だと思い込んでいる、というような風潮が、いや、実際にそんなひとが、昨今の茶の湯の世界には、多々見受けられるように感じるから


そんな中で、

僕は、どうしようか?

僕なら、

まず、ものソノモノをみつめたい

そしてゼロから作ったひとへのリスペクトを忘れたくない

それから、特に茶の湯創成期の真にクリエイティヴな茶人たちの功績を見つめたい

そうした、茶の湯ヒストリーの上の宝ものを知って、ちゃんと味わって、

その上で、僕は、今、僕の茶の湯をしたい

先達を呼んでも、恥ずかしくない、あわよくば、先達をアッと言わせる、あるいはせめてニヤリとさせる位の

そんな茶の湯がしたいものだ




(まとまらないけれど、メモっておく)













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by so-kuu | 2014-03-19 23:35 | 茶人 | Comments(0)

会記と道具組は誰のものか? (茶人の心得・茶の湯の常識)

会記というものに関する先生のお話は、

亭主の慎ましさについて

また、

客の精進について

のことだけれど


会記を安易に出さない、貰わない、

ということには、また別の要素もあろうと思う


すなわち

思うに


茶事の道具組みはそれ自体亭主が作りあげるアートなのだ


僕はかねてから

茶の湯の亭主とパーティーやクラブのDJとには通じるところがある

と思っていて


音楽においては

そもそも楽曲はそれを作った音楽家のものだけれど、

DJが選んで、繋いで、一連のDJプレイとすることで、

一楽曲だけでは済まない、一連の音楽の流れとなって、

そのDJならではの、ひとつの世界が現れ出で、

ある一晩のパーティーが出来上がる


茶の湯においては

茶道具ひとつひとつは工人や茶人の創作だけれど、

それを亭主が取り合わせて、自らの茶事をすることによって、

茶道具単体では表現しえない別世界、その茶事の趣向や亭主の好みが現れ、

ある一期一会の茶事が現出する


それらはともに、

その日、その場だけのためのアートだ


素晴らしい音楽もその場だけのもので、演奏が終われば何も残らない し全く同じ演奏は二度とない


茶事の道具組みも、

まずは亭主の作品であって、

次に亭主に呼ばれた客のためのものであって、

それ以外のだれのものでもない

そして、根本的には一期一会のものだ


してみると

少なくとも、その日の茶の湯に亭主から客として呼ばれていない、不特定多数の好事家のためのものではないはず


***

そういえば、

ある時、ある人の茶事に呼ばれた後、

別の方から、

「どんなお道具だった?」と訊かれたことがあった

僕は

「それは、ご本人に訊いてください」と答えた

けれども

「ケチなこと言わないで、ご亭主には内緒にするから教えて」とおっしゃる

「ご亭主は同じ道具組で次にあなたを呼ぶかもしれませんし、僕からは言えません」と答えた

けれどその方は腑に落ちない様子

(そういう方は、この辺りの消息についてあまり考えたことがないのかもしれない)

***


ある茶人の茶の湯、その茶人ならではのお道具組みは、一種の知的財産みたいなもの


と言ってもいいのではないか


客が亭主を尊重するのならば、他所で吹聴すべきものではないはず、と思う


さてさて

ここで話を会記に戻すと


会記は、亭主の控えであって、客に渡さないのが基本だと思う

客も、むやみに会記を求めるものではない


会記があっても、なくても

ある茶事にお呼ばれして、

そのご亭主のお心入れの茶の湯、

そのご亭主のご苦心の道具組みを、

勝手に画像をパチパチ撮る、とか

後日ペラペラと喋る、とか

ブログにアップして公開する、とか

そういうことは、僕は慎みたい、と感じている


茶事の道具組や内容は口外しない、というのが、亭主に対する敬意であり、茶人としての慎みだろう

それが、茶人の常識、であってほしい、と思う


翻って、自省すると

やっぱり、会記は自分の控えとして客には出さない、というのをこれからも自分の基本にしたい

会記を出すのは、特別な事情がある場合だけに

客であっても、会記をもらわず、記憶に残して、家に帰り、自分でメモしよう


それが、例えば『松屋会記』にみられるような、自会記、他会記、というものなんだろう

古えの茶人は、そうやって、すこしずつ名物に触れ、目を磨き、茶の湯を楽しんだんだろう


道具の話は、会記なしで、お話ですればいいし、そのほうが茶事が楽しくなるし

亭主も客もそうして楽しみながら学ぶことも出来るはずだよな




(ちょっとまとまらないけれど、後々の自分のためのメモとして書いておく)










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by so-kuu | 2014-03-19 22:29 | 茶人 | Comments(0)

会記というものは…


 

茶会の準備中、寄付に、誰かが茶会の資料を置いたままにしたらしい。

そして、その中に、茶会記の原稿があったらしい。

それをみつけた大先生曰く…

 

***

 

会記というものは、

皆様どうぞご覧ください、

どんどん刷って、皆様どうぞお持ち下さい、

なんていうものじゃないんですよ、本来。

 

1つだけ、自分のために作っておいて、

お客に請われたら、そこではじめて出せばいいの。

 

大寄せ茶会なんかでは、

進行・時間の都合で、しかたなく会記というものを作って、

お客様に出すこともありますけれど。

大寄せ茶会にて時間もない故、こちらで失礼致します、と言って出すもの。

 

そうして、その1枚をお客様に回して頂いて、順にご覧になって頂けばいいの。

 

亭主の方から進んでお客に出す、というようなものじゃないのよ。

何も数を刷って全員にお持ち帰り頂くこともないのよ。

 

亭主でなくって、客になっても。

会記を貰って帰ればいい、なんていう気持ちではダメ。

 

茶事・茶会で、自分がコレだ、と思った道具については、

まずはよく観て、ご亭主の説明をしっかり聞いて、しっかりお訊ねするの。

そして、後で…席中でなくって後でよ、それまでちゃんと覚えておいて…

手帳か懐紙か何かにメモして帰るのよ。

そして家に帰って調べる。

そういう心がけで勉強しなくてはダメよ。

 

会記に頼ってはダメ。

 

***

 

(大先生語録)

 







・・・してみると、会記というのは、主客とも力不足のなせる業?


大寄せ茶会を中心にした茶道業界では

会記をつくる、あげる、もらうのが当たり前のようになっているところもあるけれど

あくまで会記に頼らずに茶の湯が出来る自分でありたい


道具なら道具をめぐる

趣向や仕掛けや、

話題作り、受け応え、

そうしたコミュニケーションの全て

それがまた茶の湯の楽しみなのだから



先生の話は、

亭主の慎ましさについて

また、

客の精進について

のことだけれど


会記を安易に出さない、貰わない、

ということには、また別の要素もあろうと思う


(・・・それはまた別のページ にて・・・)


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by so-kuu | 2014-03-18 22:21 | 茶人 | Comments(0)

針屋宗春 或る雪の夜の茶の湯 (『茶湯古事談』)

***

秀吉公或雪の夜、
利休か侍座せしに、
今よひ町に茶の湯すへきものハ誰そと御たつねあり、
上立売に針屋か仕り侯ハんと申上る、
左あらハ汝をつれて御成あらんとて、即剋御成ありし
其時の針屋は纔に四問間口の家にてありしとなん、
此事前に記せし大晦日の事にや、又前の夜の事にや、今知るへからす、
針屋か事にも異説あり、
左にしるしぬ、針屋宗真方へ朝茶の湯に細川三斎、利休を招請するとて露地の外まて水打そゝき、戸も明かけ、何れ客待けしきなりしに、
折節秀吉公 聚楽より伏見へ御成あらんとて御通り、
不斗御目にとまり、御駕をとめられ、御たつね有しに、
宗真と申者の宅にて、今朝ハ越中守、利休をまねき候由申上しかハ、
かねて御聞及ひ被成し茶人也、幸のホなるほとに、茶師に御あひ被成んとて待合へ御入有しかハ、
宗真急き御迎に罷出、数寄屋へ請し奉り、
まつ釜をあけて炭を多くいれ、釜を勝乎へ取入、湯をすて、あたらしき水を入、ぬれ釜なから持出てかけ、
扨三方に洗米・熨斗を添へて差上、会席なしに中立あそはされ、
其間湯わきいつると御案内申上、
御入ありて、小茶碗を持出て茶一掫ひ入て毒味せし、其小茶碗ハ勝手へ入、
扨定法のことく御茶たてゝ上ぬ、
殊の外御感あり、
則知行百石、永代の御朱印にて下しおかれ今に領しぬ、
扨御立ありし跡にて三斎・利休ヘハ料理出し、茶をたて出しぬ、
此針屋今に家相続せしとなん

(『茶湯古事談』)

***
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by so-kuu | 2014-02-04 21:00 | 茶人 | Comments(0)

道安好みと少庵好み (史実?伝説?)

「剛の道安、柔の少庵」

「動の道安、静の少庵」

などという


史実?

それとも

伝説?


誰かさんが、都合いいように、後付けした作り話で、
また、それをもって後世に千家名物が捏造されていなければよいのだけれど
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by so-kuu | 2014-01-22 23:00 | 茶人 | Comments(0)