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カテゴリ:茶の湯歳時記( 21 )

天然忌

新暦の9月13日

表千家を中心に「天然忌」が行われる

表千家七代如心斎天然宗左宗匠の命日は旧暦の八月十三日
現代では新暦を用いる代わりにひと月遅れの9月の13日を当てている、ということのようだ
(これについては、利休忌も同様:旧暦二月二十八日を新暦3月28日に)

家元制度の確立
七事式の制定
いわゆる千家名物の選定
記録・史料の整理
など
流儀としての千家茶の湯の基盤を固め
後世まで続いていく千家茶の湯の流れを整えたのだから
いわゆる流儀茶の世界で
千家中興と仰がれ
天然忌が行われるのも
ごもっとも

そうしたことはさておき
個人的には
実際に行った茶事の様子
稽古の姿勢
大龍・無学和尚についての参禅
大徳寺・玉林院への参篭
覚々斎原叟宗左宗匠の茶の湯からの影響
紀州徳川家での勤め
三井家・鴻池家・冬木家などの豪商との関係
堀内仙鶴・川上不白などとの交流
俳句入りの画賛や書
などが興味深い


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by so-kuu | 2014-09-13 22:31 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

夏越の祓 (旧暦六月晦日 2014)

今日は、旧暦の六月晦日

「夏越の祓」の日だ

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神社に参って茅の輪潜りをしたり
茶の湯では、この日の前後によく和菓子「水無月」を食べたり

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とはいえ
大方の人は、
一月ほど前、新暦の6月30日に、
「夏越の祓」ですね、と言い、
お参りをしたり、水無月を食べたりしたのかもしれない

この旧暦の六月末日に「水無月」を作っている和菓子屋さんの少ないのは残念なかぎり
疫病の流行る夏本番を迎える頃に祓いをする、という元々の意義や
氷で暑気払いをしたいのは、あるいは氷を象った水無月を食べたいのは、梅雨時ではなく夏本番になってこそ、
ということを考えると

「夏越の祓」は、新暦でやってもあまり有難味はなく、旧暦でやってこそ本当に味わえるものだろう


さてさて

***

水無月の夏越の祓する人は千歳の齢延ぶと云うなり

***

夏を乗り切り
あと半年を生きていこう





追記:

画像の水無月は京都・末富さんので
通常ういろう地のところを葛でつくっているため
見た目は一層氷っぽい仕上がりに
(個人的にはオーソドックス外郎地と小豆の取り合わせも好き)







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by so-kuu | 2014-07-26 22:33 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

マイ端午の節句 旧暦五月五日 2014

今日、6月2日は 

旧暦の五月五日


端午の節句だ


新暦ではひと月ほども前に済んだけれども


旧暦でみた方が、当然ながら、往々にして、そうした物事と季節とがしっくりくる

(詳しくはまた別に書いておこうかな)


だから
というわけではないけれど

マイ端午の節句は今日、旧暦の五月五日に


玄関に
菖蒲のお札を飾ってみる

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携帯の待ち受け画面も
菖蒲の前立の兜にしてみる

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別にこんなことしなくても
今日は今日
でも
こんなことをしてみると
ちょっと楽しかったりする



いざ、出陣なり!!!

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by so-kuu | 2014-06-02 05:05 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

甲午元日アゲイン (旧暦睦月朔日 五感あっての・・・)

また

明けました


今日は旧暦の睦月朔日

僕らが明治5年以前の日本に生きていたならば
僕らは今日新年の挨拶を交わしていたんだなあ


辺りをよーくみてみれば

冷気を貫いて日差しは明るく

鳥たちは忙しく飛び回りはじめた

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(画像WWWより)

道々の梅の蕾が膨らんでいる

青山の根津邸ではもう咲いたとか


たしかに

いかにも

新春


そして

たしかに

新暦より旧暦の方が

いわゆる日本古来の歳時記というものが感じとりやすい


但し


それよりなにより

五感あってのことだ


旧暦や月齢、日の出・日の入の時刻を書き留めたところで

アプリ「くらしのこよみ」に頼って、二十四節気・七十二候、旬の食材を知ったところで

それはそれでしかない


人はヒトで

ヒトは鳥たちと同じ動物で

ヒトは梅の蕾と同じ生き物だから


暦といういつか誰かが作った道具に頼らず

自分自身が

自分自身のカラダで

太陽の光を受け、月を眺めて

巡る時を、いま・ここ、を感じ取ること


そして

その巡る時の中で

巡りゆく太陽水や緑鳥や梅たちの中で

ヒトもまた自然として生きている、と識ること



「松たてず しめかざりせず 餅つかず かかる家にも 春は来にけり」

というのが好きな僕だけれど


今年は


掃除、ということ


と共に


まず

旬の食べもの

シンプルに調理し

美味しく食べたい


そんなことを思う今日だことだ



・・・洗心・・・
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by so-kuu | 2014-01-31 22:20 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

初釜式 (ニュース雑感)

ニュースをみた


***

「京都・裏千家の初釜式が今日1月7日から始まりました。

第1席には、表千家・武者小路千家の家元や京都の政財界人を迎え・・・(中略)

12日まで。

表千家では10日から、武者小路千家では12日から、初釜が行われます。」

***


へえ


僕がいわゆる家元ならば、

表千家が初釜を始めてから、自分のところの初釜をするかな


表千家は千家流のいわば本家だろう

と僕は思っていて

本家を立てることは筋だと思うし、

それが美しいと思っている


(因みに、流儀の家元が炉開き・初風炉をするのを待って、自分の家の開炉・初風炉をするのも奥ゆかしいことだと僕は考えている)


そういう考えがないのか

あるいはあえてやっているのかもしれないな


また
表千家・武者小路千家の家元が正客と次客、その後に京都の政財界人、というのがまた・・・
よそさまを末座にして、身内筋が正客、というのは・・・


まあまあ

我にかえれば、

僕は家元ではないし、やりたくもない


ニュースも初釜も流儀もどうでもいいことか

新年だってどうでもいいといえばどうでもいいんだから


さてさて

僕の初釜は?

ひっそり点て初めするだけのことで、

一大興行のような初釜式をやる必要もない


さっぱりと気持ちよく

のんびりといこう
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by so-kuu | 2014-01-07 12:09 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

“クリスマスの茶” におもう (季節ということ、趣向ということ)

クリスマス・ケーキが安売りになっていた
廃棄されるものも相当になるんだろう
日本のクリスマスって何なんだろう?


さて


“クリスマスの茶” 


というものに
僕は
どうも
馴染めない


茶の湯にクリスマスを持ち込む、って面白いんだろうか?

それとも
クリスマス・パーティーをする、というのが先にあって、それを茶の湯でしよう、っていう順なのかな

あるいは、
12月に茶会をするんだけど、季節・趣向は、何がいいかな?この時期ならやっぱりクリスマス?、といったことなのか


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茶席の和菓子で
クリスマスツリーを象りました(実際やけに写実的だったり)、とか
緑に赤に(プラス金銀まぶしたり)、とか
銘は「聖夜」でございます、とか

京都・聚洸さんの和菓子とは対極にあるような和菓子たちだ)


僕にはよくわからない





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世間では盛行のようなので
きっと僕の方が少数派で
僕の方がかわった感覚の持ち主なのかもしれないけれど


茶の湯、という以前に
クリスマスというものを、ステキなイヴェント、と思っていない僕には
そもそもクリスマス自体が遠くの騒ぎなのかもしれないな

また
クリスマスを歳時記のひとつ、と思っていない
クリスマスより「冬至」の方が僕にはずっと嬉しいことだ





考えてみれば


茶の湯において、
とかく、季節、季節というのも
とかく、趣向、趣向、というのも
自縄自縛になっている、と感じる時がある


お茶には季節感を盛り込まなければいけない、と思い込んでいたりする
お茶では季節を趣向として表現しないといけない、と思い込んだりする

季節、季節、趣向、趣向、と言って、
要らぬことをわざわざ持ってきて、取って付けたりする

そもそも、そんな縄はないのに

また
季節を盛り込めばそれでOK
趣向を盛り込めばそれでOK
という節もないではないような気がする


「季節ですねー」

「... so what?」



どの今も、季節の中の、今、なのであって

それを表現するのは、当たり前と言えば当たり前
(表現せずともあらわれているとも言える)


肝心なのは、で、何なのか、だ


ここで
茶の湯創成期のオリジナル数寄者たちのやった茶の湯をひもといてたずねてみると
現代に言うほど、季節だとか趣向だとか言っていない
(というか安っぽい趣向に走っていない)

季節は暮らしの中で十分に感じられていたから、わざわざ茶室に持ち込む必要もさほどなかっただろうし
(このことは堀内宗心宗匠も言っておられる)
趣向を大上段に構えることもなく、すらりとお茶をしていたように感じられる

作分・作意、ということは大いに重んじられたけれど、
それは、現代のいわゆる茶道ような形に嵌ったもの、陳腐化したものではなく、
茶人それぞれの独自の創意工夫が十分に表れたものを、
数寄出来たり!と褒め讃えたものだ
自分ならではの茶の湯を成し得た人が茶人としての名を取った

野暮ぼったい季節感の演出や、趣向くさい趣向は、ぬるい茶とされ、相手にされず、記録に残ることもなかったんだろう


季節ということ、趣向ということには、気をつけたいものだ


僕は

まず

なんでもない茶の湯をしよう


茶事により趣向を凝らすなら凝らすで

根本のところを忘れないようにしよう



地に足をつけて

空をみあげよう


冬至を過ぎて

空は澄み

月は冴え渡っている

太陽はまた高く昇りはじめている


この季節

クリスマスより

僕は自然そのものをたしかに見つめていたい



(メモ)




他所さんがどんな茶の湯をしようと、それはそれで結構なことだ
*それぞれが好きな茶の湯をして楽しめばよいのだから
趣味の通うもの同志呼んだり呼ばれたりして共に楽しめばよいのだから

*ではなぜこんなことをメモるのか?と言えば
「直心」ということとも通じるかもしれない
一会において主客が互いの心を伝えあい、汲み取り合い、分かち合う
*その前提として、それぞれの茶人が自分の足で立っていないと、と感じる
*一会においては、主客共に、心に嘘がない、偽りを語らない、ということも大切だろう、と感じる
*私はこう思う、ということがなくては、茶の湯は成らないだろう、と感じる
主客が一致する場合もあって、しない場合も多々あって、その上で和していくことが大事だと考える
*「かまんかしやうかわるき事にて候、又ハ、かまんなくてもならぬ道也」
*さて如何せん?
*リアルに歩んでいこう
「直心是道場」なり
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by so-kuu | 2013-12-26 22:29 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

初午2013

2013年は、今日が、初午


***

稲荷さんの誕生日とされるのが、2月の初午の日。
これは、和銅4(711)年に、京都伏見稲荷大社(山城国紀伊郡伊奈利山)の (伏見稲荷の)ご祭神である、宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ)が、伊奈利山に降り立ったと言われている日である、との伝承より。

***


伏見稲荷を尊崇する方々には、大事なお祭り

千宗旦さんもそのひとり

「つぼつぼ」の千家替紋もそのご縁で、とか


で、茶の湯で、初午、初午、というんだそうだ


東京にいると、ピンとこないけれど


そういえば、

母の実家には、小さなお社と、不似合いな位大きな鳥居があって、

それがお稲荷さんだった

今日、お供えしてるかな?
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by so-kuu | 2013-02-09 21:54 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

夜込の茶事、暁の茶事

今夜はグッと冷えた


寒稽古もシンとしたこと


なんでも

この冬一番の寒波、とか


こんな晩には

どこぞで

夜込、暁の茶の湯

をしておらないか?


そんなお茶人は・・・?


きっと、いるだろう

東京にも何人か

全国のあちこちに大勢いるんだろう


ちょうど、今頃、

しんと冷えた露地で、

暖かな炉辺で、

坐っている

あるいは水屋で、勝手で

茶事の支度をしている

そんなお茶人さんの姿を想像してみる


切出刀で竹片を削るうちに

ずいぶん夜も更けて

またグッと冷え込んできた

茶杓作りはいよいよ佳境

なかなかの出来

でも

事を焦らず

ここで手を引いて

明日また眼をかえて

よーくみてみることにしよう


暁の茶を夢に見む夜寒哉

あの人を訪ねてみたき夜寒かな
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by so-kuu | 2013-01-27 00:56 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

元旦 2013

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by so-kuu | 2013-01-01 06:50 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)

光陰可惜念ヽ無常 ~事始めの日に

***

光陰可惜念ヽ無常

***

玉室和尚の生真面目なカッチリとした文字が僕を叱る


けれども

無常

を丸ごと呑みこんでしまえば

カラリとしたもんだ


今日は「事始め」で、正月準備の解禁日というけれど


淡々と参ろう



追記:

気付けば、今日は

旧暦の十一月一日

師走でもない

そして

新月だ

月がまた満ち始める

その方が
僕には
大事かな
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by so-kuu | 2012-12-13 16:47 | 茶の湯歳時記 | Comments(0)