茶数寄の旅 京阪神 2014春 湯木美術館 激動期の茶の湯 (いわゆる利休後の茶人たちは…)

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湯木美術館を訪ねた

「激動期の茶の湯」展の後期展示をみに

何が激動期なのか?はよくわからないけれど

千利休(田中与四郎宗易)の刑死後、
千家でいえば、千道安・千少庵・千宗旦
武家でいえば、織田有楽・蒲生氏郷・細川三斎・古田織部・桑山宗仙・片桐石州
などの頃の茶の湯に、僕は強く惹かれている

何せ、千家というものがなかったんだから
昨今のような「利休神話」が茶の湯の世界を覆う前で
茶の湯はクリエイティヴで楽しかっただろう

と思われるから

なので
神話・伝説・プロパガンダにはなるべく耳をふさいで
自分の五感でもって
彼らの残したもの(ブツ)と向き合い
ただただ、よーくみてみるようにしている

千少庵没後400年ということもあって
去年から今年にかけて、少庵宗淳居士の遺物を観る機会に恵まれて
彼の茶風に感銘受けること多々あり
また
彼と交際したであろう織田有楽や細川三斎ゆかりの品に会う機会が多いのはありがたい

そんなこともあって、楽しみに出かけたこの展覧会・・・


☆竹一重切花入 千少庵作 雲州蔵帳所載

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すんなりとした作
ぱっとみて、利休のと変わらないような静かな雰囲気
やや細目か
横から見ると、やや腰が引けているか
(細川三斎のいう“前へ踏み出す心の竹”ではない、が武人ではなく町人の作なのだからそれは言うまい)
(ただ、反対側に穴を開けていれば、状態のせり出した、また違った雰囲気の作だったろうな)
ひびは作った時からあったものか?
利休の「園城寺」はヒビがこれみよがしに真ん中にあった
少庵の作ではヒビは脇によけてあるのが、奥ゆかしい感じも

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○黒楽茶碗 銘しば栗 常慶作

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すんなりとした作行で好感が持てる
長次郎工房時代の感じ
常慶の他の作のように高台がやや大きめで腰が引くめで、ということもない
やや深め

△赤楽茶碗 銘再来 長次郎作 千宗旦所用、『茶話指月集』所載

箆目がうるさく感じた
長次郎かな?

○竹茶杓 銘五条橋 千宗旦作 共筒

枯れた感じの粗相な竹
特に節が擦れているのが印象


◎野々宮釜  西村道仁作  古田織部・細川三斎所用

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嵯峨の野宮神社の黒鳥居からの名と

与次郎によるいわゆる利休好みの釜とは全く違う作行

古い天明釜をモデルに素朴な風合の釜を求めた利休に対して
織部や三斎、有楽などは、西村道仁や大西浄清を用いて、瀟洒でデザインの凝った釜を多く好んでいる
こうした釜を利休がみたらどう評しただろう?
そういう視点も大事なように思う

ポスト利休の茶人たちは、よく「利休七哲」などと言って、雑に括られるけれど
(それも、千家四代目の江岑宗左が書いただけの話を、利休さまさま組が持ち上げただけのことかもしれないけれど)

モノが、事実として
三斎・織部また有楽などが利休とは異なる美意識・趣向での茶の湯をしていた、
ということを語っている

当然だと思う
そもそも世代も違うんだし
名物に拘泥し人真似に甘んじていたら数寄者じゃないもの
師と異なる、というか、自分の茶の湯をした彼らは、本当に茶人だ


○灰匙 桑柄 片桐石州好
○火箸 桑柄 片桐石州好

灰匙の方は、桜皮が斜めに3周巻いてある
火箸の方は細身でスラリ

自作茶杓などにも通じる、石州独自の洗練された趣味・指向を感じる
(遠州のキラキラ感とか全然ちがうんだよなー 面白い)


○羽箒 青鸞(せいらん)
最も珍重された南国の鳥の羽根、と言うが、これまた、利休はつかわなかったんじゃないか、とも思う (史実はどうだろう?)

○鐶 銀象嵌四方 金盛徳元作
四角い鐶もいいな
(釜持つ際はちょっと痛いかも?)
象嵌が銀ってのも渋くて好ましい
ギザギザ文と梅鉢文 


◎大霰尾垂釜 西村道仁造

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立派なお釜
古風
口が一部捻り返しというかバリというか
鐶付デカい、かつリアル(獅噛か)

◎栗木地なぐり炉縁 如心斎在判

とも映っている


掛物もよかった


◎消息 本阿弥光悦筆 通心房宛

光悦の手が素晴らしい、とひとは言う
僕は文面がイイと思う
いつもサッパリとしていて好き

***
田源上人様
旨文昼
来駕可被成
由辱存候 通心
芳徳院御相
伴ニ候 頓主
 三 五日 徳友斎
        光悦
通心御房
   貴報
***


◎+野牛図 俵屋宗達筆

カワイイ

千少庵は、大徳寺の禅僧のみならず、
俵屋宗達や、木下延俊(豊後日出藩主)などとも交流したことが知られる
利休切腹直後は、家族に累が及ぶのを恐れて、蒲生氏郷の保護されたこともあり
千家を継いだ千宗旦のいわゆる「乞食宗旦」ともまた違った生きようだっただろう


○浮御堂画賛

下手~な絵に、漢詩の賛をよせた一幅
その下手~なかんじが、かろみ

***
江湖堅田
浮有御堂
海邊不斗
仏漁夫朋
 元伯書
***


そうそう
最後に・・・


・御所丸茶碗 銘由貴 福山・藤井家伝来

元々は「藤井」とよばれていたそうで
「由貴」という銘は、松永耳庵の後付けだそうだ

いわゆる御所丸の白刷毛の手

この辺りって、
織部の沓茶碗を見本(=御本)として朝鮮に送って類品を作らせたんだけど、
朝鮮人の陶工にはなんのこっちゃわからないから、
こんな風になっちゃった、
というモノなんだと思う

ひしゃげ方が規則的だし、
高台も歪みではなく五角形になったり
腰の箆もわりと工芸としてちゃんとしてる

それじゃあ面白くないんじゃない?
笑えない織部好みは織部ではないから
織部とは呼ばれず、
御所丸とか言う別の名前も付いて、別ものとして伝わることになった、
という話ではないのかなー

僕にはあまり縁のない感じだ


・広沢

これぞ、湯木美術館の目玉!

という感じなのかもしれないけれど
何度も見ているけれど
僕はどうも興味がそそられない

ひとつ気が付いたのは
茶碗の腰の部分
外側はカキッと張っているのに対して
内側はなだらかに丸くカーブしている
ということは
腰の肉が厚い、ということ
ゆっくり温めてあげると
茶が冷めにくく手取りも温かだろう
またどっしりと重みもあって
茶が練りやすそうだ
その辺りは志野の優品の秘密なのかもしれないな



(その後、菊壽堂・本家柴藤に寄るも土曜は休み、昼を簡単に済ませて、いざ京都へ・・・ 野村美術館 大田垣蓮月展





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by so-kuu | 2014-03-24 22:36 | 茶道具 | Comments(0)
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