茶数寄の旅 京阪神 2013秋 6 表千家北山会館 「少庵四百年忌 千家二代 少庵ゆかりの茶道具展」

茶数寄の旅 京阪神 2013秋


6 表千家北山会館 「少庵四百年忌 千家二代 少庵ゆかりの茶道具展」


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千少庵は僕の好きな茶人のひとり

そのゆかりのお道具を拝見した



○少庵召出状

千家にとっては大切な書状
豊臣秀吉と深く関わった千利休(田中与次郎宗易)が
切腹し果てた後、
類が及ぶのを避けるため、
実子道安は飛騨高山(諸説あり)に逃れ、後妻の連れ子である少庵は会津の蒲生氏郷のもとに匿われていた

余生を隠棲のまま終わるかもしれなかったところが、
徳川家康・蒲生氏郷の口利きによって、秀吉の勘気が解け、
京に戻ることを公認されたのが、この「召出状」というわけだ

さらに言うと、
少庵赦免に徳川家康が関わったところに大きな意味がある

豊臣を滅ぼして徳川幕府に実権が移った後、
元々は豊臣方と親しかった千利休の縁者たちが、
家康の公認を得たんだよ、と言って江戸時代初期を生き抜くことが出来、
少庵は京で茶人として活動することが出来、
それによって、宗旦から宗左・宗室・宗守の大名家への仕官へと繋がり、
三千家確立に至る道が開けたのだから

その流れの中で、
少庵は徳川2代将軍・秀忠とも茶の湯の親交を持つこととなった
それを代々喧伝する事が出来る材料となったのが、
もうひとつの表千家のお宝、


・いわゆる「香箱の文」 徳川秀忠筆書状 千少庵宛

(翌日からの展示で拝見せず)

いわゆる「千家」にしても、
また、楽家(豊臣から拝領の楽印と徳川から拝領の楽印がある)にしても

豊臣から徳川へ、時の権力に乗ることだ出来たことが、
そして、幕藩体制とその礼式としての茶の湯にフィットしていけたことが、
家としてのブランドで今まで続いてきた歴史の最大のポイントだったんだろう


もうひとつ、
少庵の事で言えば、
彼の交遊関係には要注目

特に
織田有楽との関係は興味深い
後半生でたびたび行き来のあるこの二人の茶人の茶の湯には
何かしら共通点があるように思う

(それは追ってメモしよう)


(お道具も素晴らしいものあり! 追ってメモ)



竹茶杓 千少庵作 共筒 如心斎替筒 は別ページに詳述
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by so-kuu | 2013-11-20 22:10 | 茶道具 | Comments(0)
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