細川三斎の茶 その5 茶碗 瀬戸「よびつぎ」 珠光天目 黒楽「おとごぜ」 (永青文庫)

永青文庫の
「細川三斎の茶」展
書状・釜・茶杓が特に見もの

かつ、
他にも優品多数・・・

茶碗もよかった


☆古瀬戸茶碗 「よびつぎ」

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渋紙手のような瀬戸釉に
染付の継ぎ
継ぎ目は漆(金をのせていない)

異質の組み合わせにして、奇異でない
コントラストが素晴らしく、かつ、すんなりと収まっている、
ってところが見事と思う


この時代のお茶人たちに混ざりたかったなあ、としみじみ思わされる

いや
とやかく言うまい

とにかく

実に好きだ
大好きだ
マイ名物



替え茶碗にこんなの使ったら洒落てるなー
といつも思う


・粉引茶碗 「大高麗」

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粉引の手
かなり大ぶり

この辺の茶碗が珍重された、
というのが、三斎当時っぽいな

*「大高麗」には、他に徳川美術館所蔵の大井戸手茶碗も有


○柿の蔕茶碗

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無銘で
地味だけれど
いい出来だと思う


○灰被天目 「珠光天目」

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小振りの天目茶碗
侘び茶の粗、と仰がれる、伝説の茶人、
村田珠光所用、と伝わる一碗

確かに、渋い
侘び、って感じ、と言えば言える

でも、
侘び茶なら、
中国産の天目茶碗など使わなけりゃいい話

利休の侘び茶が全盛の頃でも、
細川三斎は、天目茶碗が欲しかったのかな?

師、利休が顕彰する村田珠光の道具を、持って置きたかった、ということかな?

それとも、
利休もその茶の湯キャリアの前半ではずいぶん天目茶碗を使っている、
ということを考えると、
利休・三斎当人たちは、今日の僕らが今思うほど、侘び茶だ侘び茶だ、とは言ってなかったのかも
あるいは、この手の天目茶碗を用いて、その当時としての侘茶の湯をしていた、ということか
もしくは、もっと時代が下って、利休亡き後、いわゆる武家の茶、御成の茶などのために、天目茶碗が入り用だったのかも

(この辺を考えるには、それぞれの道具が、いつ、誰の時代に、どういう経緯で、細川家の蔵に入ったか?ということを検証する必要があるな)


△黒楽茶碗 「おとごぜ」

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黒楽で、
口に特徴あり
大きく波打ちながら一周し、
内抱えが際立つ
胴締めも曲線的で
腰は丸い

長次郎作、だという

これ、本当に、(初代)長次郎作だろうか?

一見して光悦のよう
一入っぽいね、というひともいた

けれど、

三斎が長次郎に発注して、ともきくけれど
資料があっての話か?伝承か?

いわゆる長次郎作、
特に利休好みの長次郎の作
「作為の無い「歪み」が侘び茶を追求する利休の思いに適った」んだろうと僕も思う)
とは、
ずいぶん感じが違う
例えば、
利休時代の長次郎作とされる中で、
結構動きのある方の「俊寛」

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と比べても、
より一層動きがあり、まろんとした作ゆき

また
釉薬についても
ちょっと違った感じに見える

「長次郎」
については
かねがね感じていた

有る程度判っていることらしいけれど
「長次郎」って、ひとりじゃないんだよね

・初代長次郎
宗慶
・宗味
常慶
・二代長次郎
などが、
「長次郎」の窯場で、
一緒に作業していたらしい

いわゆる「長次郎」にも、いろんなタイプがある、
というのは、自然なことかも


ところで、
初代長次郎は、
天正17年(1589年)に亡くなったらしい

その天正17年(1589年)までに、
細川三斎は、
この黒楽茶碗「おとごぜ」を、
初代長次郎に発注し、作ってもらって、手にしていただろうか?

僕の推測(資料などの根拠ななし、ただの妄想)では、
答えは、ノー、だ

利休の死後、
初代長次郎の死後、
そして、それら以上に、豊臣(羽柴)秀吉の死後も、
三斎(羽柴与一郎)は生きて、
関ヶ原の戦いや、大阪の陣や、
織部切腹や、
領地替えや、
諸々を乗り越え、
時代の変化の中をサヴァイヴしていった

もちろん、
利休の死後にも、
茶の湯をし、
織部や有楽や、
遠州や宗和や、
あるいは、本阿弥光悦や、
そういう新世代の茶人とも交わったはず

三斎と言えば、
“利休の茶風を墨守した茶人”
とばかり言われるけれど

それも一面であり、
また違った面もある、
と考える方が自然だと思う

この「おとごぜ」は、
いわゆる利休時代より後に、
織部や光悦の茶風にも触れた三斎が、
または、自身の好み・気分で、
二代目長次郎、または、もっと後の楽家にオーダーして焼かせた茶碗では?
と僕は感じる

あるいは、
発注した、ということ自体が史実ではなく、
誰かが、こういう形に作った茶碗を、三斎が気に入って求めた、
ということかもしれない

あるいは、
僕の推測は間違っていて、
この「おとごぜ」などが織部・光悦に影響を与えて、
後に、光悦の楽茶碗などが生まれていった可能性も、
そりゃ、あるかも

さて、事実は?

どうでもいいか

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by so-kuu | 2013-05-22 20:13 | 茶道具 | Comments(0)
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