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「大名物」 (と「名物」・「中興名物」)

「中興名物」は、名物だろうか?

なんてことを、前回、書いた
けれど


じゃあ、古い方がいいのか?っていうと、また微妙

今回は「大名物」について

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まず、だいたいの定義として

●「大名物」
 ・・・主に室町時代に足利将軍家が所持していた道具(東山御物)と、利休時代、すでに最高位に評価されていた道具。)

●「名物」 
 ・・・主に利休時代に著名になった道具をいう。織田信長や豊臣秀吉が千利休や津田宗及らに選ばせたり、名物狩りと称して収集したコレクション)

●「中興名物」
 ・・・小堀遠州が取りあげた道具を、後年松平不昧が「中興名物」と名付けたもの

としておく


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前回は、“中興名物は、大名物・名物のセレクションに漏れていたもの”というようなことを書いたけれど。

古ければ、古いほど、いいのか?

中興名物より名物、名物より大名物が優れているのか?

というと、これまたそうでもないような気が

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特に、昨今のいわゆる茶道界においては、

利休神話・利休信仰が強く、また、千家の流れを汲む流儀の勢力が強い、と言えるだろう

すると、

利休居士の頃に、利休のいわゆる“侘び茶”の視点で選ばれたもの

=「名物」が、最も人気が高いように思う

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それは、『山上宗二記』にてすでに始まっていて

例えば東山御物に数えられるような品(=大名物)についても

「当世にては不要」みたいに切り捨てられている

(こうした記述が、昨今の茶の湯名物道具観の礎にもなっているんだろうな)

そんな風に

「大名物」が以外と人気なかったりする

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例えば

立派な唐絵は小間の床に収まらないからなー、とか

出番を考えると、古い天目茶碗より、断然、楽茶碗だよな、とか

大きな茶壺なんか実際要らないよ、とか

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してみると、

大名物 < 名物 > 中興名物

みたいな感じが昨今の大勢かなー、と感じられる

言い換えると、

利休以前の茶人セレクト < 利休 > 遠州(不昧)セレクト

という感じか

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とはいえ、

モノの好みは、人それぞれ。

遠州が好きなひともいてよし。
利休が好きなひともいてよし。
利休流ではない古の茶人が好きなひともいてよし。

茶の湯は、それぞれだから、面白いんだし。

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僕も、
しばらく前まで、
「大名物」を敬遠していた
ちょっと古臭過ぎる、というか、
利休時代の美意識で選ばれた「名物」の方が面白く見えて

でも、最近、ちょっと見方、見え方が変わってきた

秋に徳川美術館を訪ねてから、かな?

(そのことは、追って書きとめておこうと思う)

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いずれにしても、

今度、根津美術館で、「遠州・不昧の美意識」という展覧がある。

楽しみに、観に行こう。

中興名物と、遠州さんの眼と、出会ってみよう、と思う。

また、名物・大名物と、比べてみよう、と思っている。


で、
やっぱり、ああだこうだ言わず、

裸の目玉で、モノと向き合ってみようと思う。





追記:

利休以前の道具(「大名物」など)が切り捨てられがちなのと同じく
遠州セレクト(「中興名物」)以降の道具
特に
石州セレクトの道具や、片桐石州の茶の湯についても
同じく、ずいぶん、軽んじられていると思うなあ

江戸幕府四代将軍・家綱の茶の湯師範となり、その後約200年、「柳営茶道」の地位と格式を誇った石州流が
現代において、ここまで、顧みられず、語られずして、よいものだろうか

昨今のいわゆる茶道、茶の湯観、というのは、ずいぶんと偏っている

そんな風に感じる今日この頃

奈良・大和小泉の慈光院を訪ねたとこのある人ならば、片桐石州という茶人の存在や、その辺りについて、何かしら感じるところがあるのではないだろうか?)

やっぱり

茶の湯の流儀以前に

茶人が、ひとりひとり、一茶人でないと

茶の湯は面白くない

そんな風に感じる






by so-kuu | 2013-02-09 22:17 | 茶道具
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