樂美術館 肌をめでる。(夜桜棗 乱菊棗 肩衝透木釜)

樂美術館を訪ねた

「樂美術館 肌をめでる。 樂茶碗の陶肌 大西 釜の鉄肌 一閑・宗哲の漆肌」展


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ところで、

茶の湯をするひとにもいろいろあって、
お茶人それぞれの好みもまたいろいろで、

茶が好きな人も、
茶碗ややきものが好きな人も、
釜や金工が好きなひとも、
竹のものが好きな人も、
懐石の器が好きな人も、
ぐい呑みが好きな人も、
酒が好きなひとも、
料理が好きなひとも、
花が好きなひとも、
茶室が好きなひとも、
あるいは
着物が好きな人も、
社交が好きなひとも、
ステイタス感が好きな人も、
歴史が好きなひとも、
勉強が好きな人も、
稽古が好きな人も、
組織活動が好きな人も、
茶人それぞれに、いろいろな趣味・嗜好をもっているようだ

近くを見渡しても、

・籠に目がないひと
・ぐいのみコレクター
・キラキラ、ゴージャス茶道具に弱いひと
・古裂好き
・小さい道具を愛するひと

など、いろいろだ

で、僕は?
僕は茶の湯の何が好きだろう?
どんな茶道具が好みだろう?
と考えたことがあった

で、茶の湯の道具の好みとしては、

「肌フェチ」

なんだろう、と思っている

器物の、
肌合というか、
質感というか、
テクスチャーというか、マチエールというか、

たとえば、
竹や木地道具が好きだったり、
透けた漆や一閑塗が好きだったり、
長次郎の黒楽の肌合いが好きだったり、
嵯峨蒔絵の擦れた感じが好きだったり、
熊川・井戸や唐津の茶碗の貫入が好きだったり、
貫入といえば、貫入の細かい白薩摩も好きだったり、
ごく渋い色味の茶入が好きだったり、
天明や与次郎の釜の鉄肌が好きだったり・・・

最近では、

ひと言で言えば、

「寂」

ということなのかな、とみていた


なので、

「肌をめでる。」と題されたこの展覧を、楽しみに訪ねた


けれども、

いざ、ものを目の前にすると、

「肌をめでる。」

というような意識はどこかにとんで消えるものだ

ただただ、僕の眼が、ものと向き合うだけ


・楽茶碗いろいろ

確かに、
長次郎は長次郎の、
のんこうはのんこうの、
宗入は宗入の、左入は左入の、
長入は長入の、了入は了入の、
肌をしている。


・黒楽筒茶碗 銘 村雨 長次郎作

少し尻膨らな、筒茶碗
碁笥底のようだ


・黒楽茶碗 如心斎命銘 須磨 道入作

主張の強いのんこうにしては、静かな一碗
オーソドックスな形

・白楽茶碗 命 冠雪 本阿弥光悦作

形は、加賀光悦・七里系か
全体に白釉、厚いところが緑変している


・利休形 真塗手桶 初代中村宗哲作

あの手桶水指
盛阿弥作とか、秀次作とか、宗哲作とか、いろいろある
並べて見比べてみたい、と思う


・夜桜棗 少庵好 五代中村宗哲作

これにはヤラれた

黒漆の地に、これまた黒漆で桜の花を描く、と言う夜桜棗はよくみる
けれども、
本作は、その桜がよーくみても見えてこない位に書いてある
蝋燭の灯でみるとみやすい、という解説も、さもありなん
色で見えるのではなく、
ほんのわずかな漆の盛り上がりのシルエットを、
と言うか、地と絵の漆の、それこそ肌の違いを、
灯りが照らすのかもしれない

キレイ渋!


・乱菊棗 三代中村宗哲作

黒漆の棗の蓋上に、
朱漆で、菊の絵
その菊の絵が、ザラリとして潔く、きもちがいい


*ところで、宗哲は、「七五三がすごい」と会津塗の職人さんに聞いたことあり
気をつけて、各代の違いをみるようにしてみたけれど、
僕には、まだ、その違いがしっかりとはわからないな


・小棗 碌々斎在判直書十一代飛来一閑作

「茶ハあらく樫の数とる座敷かな」

の文句に見覚えあり

川上不白の飛石画賛というのに

「茶はあらく角の数とる座敷かな」

とかいうのがあったと思う

飛石(飛車)と飛び石の角(角行)という将棋にかけた洒落?

(ぼくならば・・・ とにかくにひしゃのかずとる茶の湯かな ・・・“茶事はとにかく回数”だろうから)


・七賢平棗 玄々斎好

竹製の平棗に七賢と名付けている
赤茶で半艶の塗り


・鉄格子風炉 肩衝透木釜添 十一代大西浄寿作

鉄格子風炉もなかなか面白いかたちだけれど

釜のナリが好きだな
平釜だけれど肩衝き、
透木に載せる羽根は短い(一寸弱か)
鐶付は肩の側面一番上に鬼面(だったと記憶)
全体に荒れた肌



(いつか読みなおしてみるための備忘録)

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by so-kuu | 2012-10-31 20:05 | 茶道具 | Comments(0)
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