美しいものにしか惹かれない ~ 白洲正子を育んだもの

b0044754_1834846.jpg

 
GW中の細切れの休日の一日。
 
懐かしい砧公園の中にある世田谷美術館へ。

「白洲正子展」を観に行った。

---

那智・桜井・近江などの各地の仏像などが一堂に集められているのはありがたいことだ。
各地を旅することなく、そうしたものがみられるのだから。
一方、そうした各地を旅して歩いて、そのものがあるべき場所に立っている姿を観たい気もした。

---

白洲正子旧蔵の富士山絵の掛軸がよかった。

そして、脇に添えられたエッセイの一節がひどく印象に残った。


***

『母なる富士』

富士は私の母なる山であり、富士山によって育てられたと言っても過言ではないと思う。
そのために、美しいものにしか惹かれないという欠点を持っているが、「物の形」と言うものを、はじめて体験させてくれたのも富士山なのだから、今さらそんな贅沢をいってみてもはじまるまい。

***


---

「美しいものにしか惹かれないという欠点」 …笑!


でも、なんだか、よくわかる気がする。

さっぱりと言い切るその感じに、自身の美意識に対する自負がありあり。
それがなんぼのものかはわからないが、そういう自負あってこそ、「ものがみえる」だろう。

---

そして、彼女の富士山への思いには、共感もある。

僕自身が、富士山と親しく育ったから。

だから、彼女の文章を面白く読んだ。

---

ものをみる目。

ものがみえる眼。

それを養うということは…?

---

実は、白洲正子の書いたものには、これまであまり触れないようにしてきた。

僕自身の目が曇るのがイヤだから。

古い日本の美術品を見る目が、白洲正子や小林秀雄や青山次郎のような型にはまるのがイヤなんだな、きっと。

僕は、僕自身の足で何かと出会い、僕自身の目でものを観たいんだな。

それでも、小林秀雄はとても好きだし、青山次郎もいいこと言う。

そして、白洲正子の茶道論も素晴らしい(それはいつかこのBLOGにも書き留めておこうかな)。

---

白洲正子さん。

彼女、茶の湯はやらないけれど、そこいらの茶人以上に、立派な“茶人”だ。
[PR]
by so-kuu | 2011-05-08 22:08 | 茶人 | Comments(0)
<< 茶の湯とは、茶と湯、である。 茶の湯とは、不要不急のものである。 >>