十牛図 総序 鳥道の跡無きが如し (味噌の味噌臭きは上味噌にあらず)

 
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其の理を得るや、超宗越格、鳥道の跡無きが如し。

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そこでこの禅の宗旨を手に入れて仏法の理が分かるというと「超宗越格」(ちょうしゅうおっかく)だ。

自力だの他力だの、小乗だの大乗だのという宗旨を超えていかねばならん。
それぞれの宗旨にはそれぞれ風格があるがその格も越えていかねばならん。
鳥が空を飛んでもあとには何も残らんように、本当に禅の分かったものは禅さえも忘れてしまう。

味噌の味噌臭きは上味噌にあらず。

悟りの悟り臭きは上悟りにあらず、だ。



(『十牛図』 山田無文)



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沁みるなあ

僕の茶の湯は、茶の湯臭くないか?

「茶の湯の茶の湯臭きは上の茶の湯にあらず」!!!

精進、精進




追記:

蛇足ながら、この続きも書き留めておく:


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其の事を得るや、句に滞り言に迷い、霊亀の尾を曳くが若し。

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ところが本当の真理が分からずに現実の現象にとらわれると、『涅槃経』にはどう言うているの、『楞伽経』にはどうあるの、やれ達磨がどう言うた、六祖がどう言うたのと、句に滞り、言に迷い、宗にとらわれ、格にとらわれてしまうのである。
ちょうど年を経た亀が自分の尻尾で足跡を消すようなものだ。なるほど、足跡を消すまではなかなか利口にはたらいたが、その足跡を消した尻尾の跡が残っておるのはどうにもならんではないか。
真実、禅を会得したものは超宗越格でなくてはならん。
その会得ができておらんと、よっぽど利口なつもりでおってもやっぱり後に何かを残すものである。

超宗越格というところには何もない。

一円相の世界である。

その何もなくなったところが極意である。
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by so-kuu | 2010-01-20 07:32 | 茶禅一味 | Comments(0)
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